◆二軒茶屋(にけんぢゃや)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「池田」(昭和22.10)を使用したものである
所在:東みよし町東山(ひがしやま) 地形図:阿波池田/池田
形態:稜線上に家屋が少数集まる
標高:約630m
訪問:2019年1月
大字東山の西部、池田町【現・三好市】との境界となる稜線上にある。
現地付近には増川谷方面および猪ノ鼻峠方面から林道が通じ、さらに当地に向かって未鋪装の狭い車道が通じている。ただしこの枝道は管理用のものであるようで、手前の看板では徒歩が推奨されている。
当地は香川県琴平町の金刀比羅宮(こんぴらさん)と徳島県池田町【現・三好市】の箸蔵寺とを結ぶ「箸蔵街道」に位置し、往時は2軒の宿が設けられていた。現在も自然遊歩道「四国のみち」の一部となり、トレッキング等で訪れる人も多い。
現在は屋敷跡に2棟の小屋やベンチ、案内板や当地についての説明板が設けられ、ちょっとした休憩地点となっている。以下は説明板の全文。
ここには、もともと二軒の宿があり、宿泊と茶の接待をしていたところから「二軒茶屋」という名がついたといわれています。一説によると宿の名前は大国屋(※1)と福島屋であったそうですが、七・八十年前にはもうすでにこの二軒の旅館はなかったといいますから、それ以前のかなり昔のことだと思われます。
当地出身の服部(はっとり)国高さん(六十五才)の話によると、服部さんがものごころついた頃、左図のAのところ(※2)には、くさやぶきの大きな家があり、そこでは、旅人に茶の接待をし、宿泊もできたそうです。この家は昭和二十年頃まではあったようです。
昭和三年トンネルが完成し、鉄道が通じるまで、ここを通る人は多く、特に春と秋の「はしくら市(いち)」の時など、かなりのにぎわいをみせていたようです。
昭和六十一年三月 香川県
※1 町史では「大黒屋」
※2 写真2の右側の小屋付近
説明版より、福島屋と大国屋の大まかな位置が推定できる(写真7・8)。大国屋跡の裏手には墓があり、福田氏の名が刻まれている。
集落の南尾根上にある小祠は「いぼ地蔵」と呼ばれるもの(写真11)。以下は説明版より。
むかしから、このあたりはかしの木ばやしであり、「かしの木の峰」と呼ばれていたことから、「かしの木地蔵」の名がついていたといいます。
ところが、この地蔵さんにお参りするといぼが治るという噂がたち、いつの頃からか、「いぼ地蔵」と呼ばれるようになったといういい伝えが残っています。
ただ、そもそもは二軒茶屋の氏神であり、山の神でもあった神祠であろうと思われます。
平成十三年五月 香川県
なお町史によると、2軒の茶屋の財田寄りに道を挟んで4軒の民家があったとのこと。また当地の丁石は元来50丁のものであったが、近年になり消失。財田の青年団が49丁のものをこの地に移し、現在に至っているという(写真4)。
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