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◆中内(なかうち)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「北川」(昭和28.11)を使用したものである

所在:那賀町木頭折宇(おりう)字中内
地形図:阿波出原/北川
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:集落整備事業
標高:約680m
訪問:2008年9月

 

 那賀(なか)川の支流、栩谷(とちだに)川の上流部にある。
 現在も手入れされた家屋が数軒残っており、うち1軒(写真2)では菜園が作られている。訪問時には犬もいたため、住民が戻ってきていたのだろう。かつての農地は全て植林されてしまっている。集落内には集落の歴史が刻まれた碑(平成9年12月建立、木頭村教育委員長による文。写真5)が建っている。以下はその抜萃(【 】内はふりがな)。


(略)さて中内の戸数については「寛永検地」(寛永五年)に、「折宇村中河内【ナカカウチ】ハ計四戸」と記されており、これが現存最も古い記録となっている。
その後住民は懸命に田畑を開墾、明治・大正時代には二十一戸・二十戸となり、昭和に引継がれ、最終的には実に畑四町十三歩田八反九畝十歩となった。実に驚くべき発展である。
しかし、昭和二十七年以来過疎化は進み、「集落再編」に関【かかわ】って遂に昭和四十八年八月には中内に残るものわずかに五戸十五人となりその後日を追い事実上の廃邑【はいゆう】(廃郷)となるが、特筆すべきは中内神社は昭和四十九年七月十九日、和無田八幡神社に合祀されるが従来中内神社で奉納されていた「太刀踊り」はそのまま毎年和無田八幡神社の祭礼日に奉納されている。


 
宇井ノ内の方の話では、村内の出原(いずはら)の公営住宅に移転したとのこと。知っている範囲で20軒くらいの家があった。

 


写真1 倒潰家屋


写真2 人家

写真3 人家

写真4 廃屋

写真5 碑

 

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