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◆宮島(みやじま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「川島」(昭和26.7)を使用したものである

所在:吉野川市川島町宮島
地形図:川島/川島
形態:中洲および川岸に家屋が集まる
離村の背景:遊水地帯化に伴う退去
標高:20m弱(中洲・川岸とも)
訪問:2011年11月

 

 町の北東部にあり、吉野(よしの)川の中洲から右岸の一部にかけて広がる
 中洲は善入寺島(もと粟島)と呼ばれ、現在は見渡す限りの田畑が広がっており建造物は見当たらない。右岸側(スキャン画像右下、「避病院及隔離病舎」の記号がある付近)には税務署や合同庁舎が所在するが、こちらにも住居はなく、大字全体が無住地。
 以下は「角川」より抜萃・改変。

 大字宮島は近世の麻植郡宮之島村。明治22年、桑川(くわかわ)村(のち川島町)の大字となる。明治24年147戸832人。
 
地内は吉野川によって南北に分断され、善入寺島地区は吉野川の遊水地。肥沃な土壌の耕地は近年水田化し、裏作で蔬菜栽培が盛ん。
 
近世…吉野川の洪水常襲地帯にあるため、毎年数回の浸水に悩まされていたが、そのたびに肥沃な砂壌土が堆積していった。適当な湿りを持つこの砂壌土は藍作に好適であった。
 
近代…明治20年代までは藍栽培が盛んであったが、同28年インド藍、同35年にドイツの化学染料が輸入され、藍作りは急速に衰退し、養蚕業に転換した。
 明治40年吉野川改修工事計画が発表され、当地は善入寺島と命名、吉野川の遊水地帯とするため全島民の立ち退きが命ぜられ、大正4年全島民は各地に分散、南岸の人家も堤防の内水のため全戸が移転した。立ち退きの際旧地主に無料耕作が許され、桑・陸稲・イモ類・麦・タバコなどを耕作した(現在は有料)。昭和37年吉野川に潜水橋が架かり、渡船による不便がなくなり、その後耕地整理が行われて農道が縦横に通じた。南岸の堤防沿いには昭和39年川島排水機場が造られ、内水による浸水がなくなった。同40年国道192号が通じ、同47年には県川島合同庁舎や川島税務署も建てられた

 また以下は町史より、宮島に関する記述を抜萃・要約。

 善入寺島はまとまった1つの村ではなく、川島町宮島・学島(がくしま)村児島(こじま)【以上、のちの川島町】・市場町香美(かがみ)・八幡町粟島(あわしま)・大野(おおの)・伊月(いつき)【以上、のちの市場町】・柿島(かきしま)村柿原(かきはら)・土成村郡(こおり)【以上、のちの土成村】の一部で構成されている。
 島全体を粟島と称していたが、古くはこの地に「善入寺」という寺院があったことから内務省が善入寺島と命名。
移転前の島民数は資料により異なり、300戸余から600戸と幅がある。
 神社としては宮島地内に浮島八幡宮(村社)・厳島神社(以下無格社)・大山祇神社・豊受神社・猿田彦神社があった。

 なお大字川島の城山に「移転之碑」があり、これには「宮島及接續地繿コ之一部(※)」の「人家百戸」として100名の移転者の名が刻まれている。町史より移転先の内訳(県内)は、川島町40(旧川島町27・旧学島村13)・鴨島町36(旧西尾(にしお)村12・旧森山(もりやま)村11・旧鴨島町7・旧牛島(うししま)村6)・市場町9(旧市場町7・旧八幡(やわた)町1・旧大俣(おおまた)村1)・徳島市2(旧徳島市1・旧加茂名(かもな)村1)・石井町1(旧浦庄(うらしょう)村)・穴吹町1(旧穴吹村)・山川町1(旧川田(かわた)村)・阿波町1(旧久勝(ひさかつ)村)。県外では朝鮮1・北海道虻田郡3・大阪市5となっている。また姓は後藤田が21と最も多く、次いで河村9・森8・尾池7・石川5・酒井4・宮田4・川村3・鴻野3・大和3・今川2・河野2・高橋2・高村2・中2・宮本2・宮森2、青山・新居・石田・伊藤・蛭子・大塚・清本・五島・小山・中西・野口・浜崎・林・板東・福井・福永・三木・岑田・峯田各1。

※ 現在の右岸側の宮島地区と思われる

 


写真1 吉野川と川島橋。彼岸が善入寺島


写真2 畑

写真3 ?

 

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