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◆殿川内(とのかわち・とのがわち)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「和食」(昭和25.6)を使用したものである

所在:上勝町生実(いくみ)字殿川内
地形図:雲早山/雲早山
形態:川沿いに家屋が集まる?
標高:約750m
訪問:2011年10月

 

 町の北西部、勝浦川上流にある。勝浦川は生実付近で嶮隘な渓谷となるが、滝や紅葉などの風景が楽しめる「殿川内渓谷」として知られている。
 集落は渓谷よりもさらに上流部、地形が緩やかになった場所にある。近年まで林業関係の出入りがあったようで、施設がいくらかまとまって残っている。付近には「番所屋敷」「生実小学分校跡」の看板(写真3)があるが、これらの詳細は不明。学校は林業が盛んな頃に作られたものだろうか。
 また施設群の手前には神社(金刀比羅宮。写真4)があり、境内には「普通林道之碑」と三界万霊の石仏が立つ。道を挟んだ反対側にも小さな社が祀られている(写真5)。
 なお当集落は林業集落が作られる以前に古くからあったようで、その名残として古い墓地が残っている(写真6)。新しいもので大正6年。「川上」という姓からも、この地に由来する家であることが窺える。家屋は施設群の付近にあったのだろうか。また施設群から川にかけて石垣で段々になっており、農地跡の雰囲気を漂わせる(写真7)。

 以下は町誌より、当地に関する記述(要約)

殿川内地区には広葉樹(トチ・ブナなど)・針葉樹(スギなど)の原生林が多く、早くから村外地主の手に渡り明治40年頃徳島市の材木商人(原氏)の所有となる。以後大々的に用材生産が開始された。他地域の地元農民による自立的な林業とは対照的な生産構造が形成されたが、競合関係を生じることなく、むしろ利害を一致させる形で展開していった。
同地は地形が峻嶮で、原生林や薪炭林の開発には搬出手段の改善が望まれた。原氏はあらゆる有志に木馬道開鑿を諮る(当初は木馬道敷設を計画したが、のち森林軌道に変更)。関係者の協力はすぐに得られ、原氏を社長とした合資会社殿川内森林鉄道を設立。工事は明治40年6月着工、同42年2月竣工。起点殿川内から終点落合(※1)までの、延長約11.6km。

※1 勝浦川・旭(あさひ)川の合流部。町役場付近

 余談だが、小字殿川内に隣接する小字に「〓〓(※2)(とせい)」という非常に変わった地名があり、町誌にもその由来が記されている。

※2 1文字目は「山」の下に「投」、2文字目は「山」の下に「省+おおざと」

 


写真1 施設群


写真2 林業会社の「殿川内出張事務所」


写真3 看板


写真4 神社


写真5 別の神社


写真6 古い墓


写真7 農地跡?


写真8 殿川内橋

 

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