◆空野(あきの)
所在:美馬市穴吹町穴吹(あなぶきちょうあなぶき)字野山(のやま) 地形図:脇町/脇町
形態:山中に家屋が散在する
標高:約600〜750m?
訪問:2011年11月
町の北東部、大字穴吹の南部にある。戦後に開拓された集落。
町誌によると、開拓が始まったのは昭和22年10月10日。竹内豊一を団長として11戸が入植したという。さらに同23年2月10日、布川孝明を団長として満蒙開拓経験者10名からなる「双葉開拓団」が入植。
入植当初は板葺き・藁葺き・板壁の開拓小屋で生活し、開墾した畑で自給自足の生活を行う。焼畑により作物は順調に育った。しばらく共同生活の営農であったが、昭和30年頃からはそれぞれ家屋を建て独立で営農。しかし高度成長期に入った昭和40年代初期から離農者が出始め、町誌の刊行時(昭和62年)には僅か3戸となった。昭和35年16戸70人、同60年5戸13人。
HEYANEKO氏の調査では、平成17年頃には完全離村に至ったよう。
以下は学校の沿革。
昭和26.1.11 |
分教場落成(5月落成式) |
同3.10 |
設置認可 |
同5.23 |
授業開始。児童数17 |
同6.9 |
開校記念式典を挙行 |
同9.22 |
校舎全焼(民家を借り空野分校仮教室として授業を行う) |
昭和27.10 |
同地へ改築移転 |
昭和49.3.16 |
休校式 |
同3.31 |
休校 |
平成2 |
閉校(HEYANEKO氏調べ) |
現在は集落の一部に放牧場が造成され、路傍には「空野開拓碑」がある(写真1)。現在も出入のある家が1軒と廃屋が1軒見られた。HEYANEKO氏が確認したという校舎の位置は分からず。
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