◆鋳師釜(いもじがま)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「小郡」(昭和22.2)を使用したものである
所在:宇部市山中(やまなか)
地形図:阿知須/小郡
異読:いものしがま?(旧版地形図)
形態:谷沿いの一軒家?
標高:約80m
訪問:2023年1月
大字山中の南部、甲山川(厚東(ことう)川支流)の左岸支流沿いにある。
旧版地形図では「イモノシ―」のルビだが、後述の解説により見出しの読みは「いもじがま」とした。
過去の航空写真では、上の地図画像の地名表記付近と、その右の道の分岐付近に建物が見られ、前者は人家と思われる。また谷に沿って水田が細長く続いている。
現在は産業団地「宇部テクノパーク」として広く造成され、一帯の地形は大きく変わっている。なお地名表記付近は小さな公園になっており、造成地の縁に当たる。公園内には2つの説明板があるが、いずれも劣化により読むことはできない(一方は「…伝説 甲石」「二俣瀬ふるさと運動実行委員会」などとかろうじて読める)。
ただし市のウェブサイト内の「二俣瀬マップ」より、それぞれ大まかに以下の内容が記されていたよう。
甲石〔かぶといし〕(宇部テクノ団地)
源平の合戦で悪七兵衛景清という者が戦いに敗れて逃れてきて自分のかぶとを山の上に置いて休んだ。その甲がこの石になったと伝えられている。
テクノパーク造成後、現在地へ移転保存。
鋳物師釜跡〔いもじがまあと〕(宇部テクノ団地)
伊豆国の浪人、伊東彦四郎入道が應永元年(1394年)、山中の地に来て、大内氏の許容を得て深林を開き新に宿駅を立て、この地で鋳物業を営んでいた跡である。
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