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◆向畑(むかいばた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鹿野」(昭和22.2)を使用したものである

所在:岩国市錦町広瀬(にしきまちひろせ)
地形図:周防須万/鹿野
形態:山中に家屋が集まる
標高:約350〜410m
訪問:2019年8月

 

 大字広瀬の南部、錦(にしき)川右岸側の山中にある。
 聞き取りおよび向畑分校の黒板に描かれた集落地図によると、当地は北から寺屋敷・谷
(たに/タ・惣田(そうた/ソータの小地区に細分される。先の地図では、寺屋敷に2戸、谷に6戸、惣田に15戸(うち上惣田5戸)。
 寺屋敷では屋敷跡、谷では複数の廃屋と校舎(写真7-10)、惣田では複数の屋敷跡や石塔を納めた祠(写真20)、廣實神社(写真23)、そして町(現在は市)指定の天然記念物「左近桜」(写真25)がある。また谷には同じく町(現在は市)指定の天然記念物「向畑のカツラ」(昭和39年指定)の案内標柱(写真15)があるが、カツラの木は集落からは遠く西の谷を降りた先にある(写真16)。

 資料『錦町風土記』によると、昭和40年3月末22戸107人。『広瀬町誌』によると、昭和27年12月30戸170人。
 町史が引用する「郡中大略」(安政2〔1855〕年)によると、当時の戸数は谷6戸、惣田15戸。寺屋敷の地名は見られない。また以下は町史より学校(広瀬小学校向畑分校)の沿革。

 明治12.5  広瀬小学校出張所設置
 明治16.7  谷巡回授業所となる
 ?  向畑巡回教授所と改称
 明治20.4  向畑簡易小学校となる(校舎新築)
 明治25.7  高木屋尋常小学校向畑分教場となる
 明治30.4  広瀬尋常小学校向畑分教場となる
 昭和16.4  広瀬国民学校向畑分校となる
 昭和22.4  広瀬小学校向畑分校となる

 昭和33

 校舎新築
 昭和47  閉校。広瀬小学校に統合

 なおHEYANEKO氏の調査より、延ヶ原に校舎が置かれていたものが昭和33年に向畑に移転したことが窺える。

 


写真1 集落地図(向畑分校にて)

≪寺屋敷≫


写真2 屋敷跡

写真3 写真2にて

写真4 屋敷跡

写真5 屋敷跡の一部

写真6 屋敷跡の一部
≪谷≫

写真7 地区俯瞰。右下は分校校舎

写真8 校舎

写真9 校舎にて。廊下

写真10 同。教室

写真11 同。便所

写真12 廃屋

写真13 廃屋

写真14 廃屋

写真15 路傍の石仏

写真16 カツラの案内

(写真17 カツラの木)
≪惣田≫

写真18 屋敷跡

写真19 墓(三家本氏)

写真20 道と屋敷跡

写真21 石塔の祠

写真22 屋敷跡

写真23 小屋

写真24 神社

写真25 左近桜。平成3年の台風で左側の枝が折れている(聞き取りより)

写真26 鹿野町【現・徳山市】との境界

 

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