◆岩屋(いわや)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鹿野」(昭和22.2)を使用したものである
所在:岩国市美川町根笠(みかわまちねかさ) 地形図:周防須万/鹿野 形態:谷沿いに家屋が集まる 標高:約100m〜 訪問:2017年8月
大字根笠の中部北西寄り、根笠川(錦(にしき)川支流)の支流沿いにある。国指定の天然記念物「岩屋観音窟」がある地で、訪れる参拝客や観光客も多い。
現在人家は皆無だが、谷の下流側と上流側に墓地が2箇所。下流側のもの(写真1)は福田家で、来訪者の駐車場(写真2)のそばにある。1970年代の航空写真では、この駐車場に人家のようなものが写っているが福田家の屋敷だろうか。上流側(写真4)は西内家(姻族の佐々木家のものもある)だが、こちらの宅地の位置は不明。
上の地図画像にある寺院の記号は護聖(ごしょう)寺(写真6)。町史によると、長州藩藩主・毛利綱広が岩屋観音の稀有な由緒を聞き、代官に命じ山ノ内(やまのうち)集落にあった受恩庵を当地に移設(延宝4(1768)年)。聖なる観音を護る意味を込め護聖寺と命名したという(山号は岩屋山)。元禄8(1695)年には藩主・毛利吉広が代官に命じ、仁王門と通夜堂が造立された。
また観音像については町史および現地の説明板によると、弘法大師が唐から戻り諸国の霊場を巡歴していた際、たまたま当地を通りこの岩屋で杖を止め、楠の古木で観音像を刻みこの岩屋に安置したと伝わるという。その後千有余年の長い年月の間に、鍾乳洞の天井から落ちる水滴が像を包み、やがて石仏のような姿になった。現在木質部分は僅かに残るのみで、内部はほとんど空洞とのこと。昭和9年1月22日、天然記念物に指定。
なお護聖寺付近には「観音水車でかまるくん」と称した巨大な水車(写真9)があるが、平成2年の造設当初は日本一の大きさであった。
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