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◆古浦(ふるうら)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「室津」(昭和21.8)を使用したものである

所在:上関町八島(やしま)
地形図:平郡島/室津
形態:海沿いに家屋が集まる?
標高:数m?
訪問:2022年1月

 

 八島の北端にあった集落。
 資料『シマダス』では、八島の解説中に「かつては北部の古浦に集落があったが、現在は八島港の周辺に集中している」と言及されている。読みは同書のルビに拠った。
 定期船で八島港にて下船し、徒歩で訪問。海沿いの広い平坦地が集落跡であったと思われるが、現在は草地や藪となり荒寥としている。電柱の根元に明治時代の墓が1基残されているが、往時からこの場所にあるかは不明(写真4)。集落跡を見下ろす場所には八島神社があり、今もなお鄭重に管理されている。港の観光案内によると、集落の鎮守であり現在も例祭が行われているという。神社後方の小山にも登ってみたが、特に何も見られず。この際、現在の道路とは別に小山の南の鞍部から西側を巻き、集落に至る道を確認。また集落北西の山裾には石垣が築かれた段々の土地があり、農地か何かがあったような雰囲気が残る。この一部では古い瓦や階段が設けられた平坦地(写真21)も見られたが、広さはなく屋敷跡ではないと思われる。
 また集落の南西隣の浜にもやや開けた谷があり、最近の地形図でも水田の記号が記されている。1970年代の航空写真でも段々になった水田が確認でき、比較的最近まで耕作が行われていたよう。付近には倒潰した小屋が見られた(写真26)。
 船主の話によると、10年くらい前まではキャンプ場が開かれ、夏季は定期船も寄港していたとのと。船着場が整備されているのはこのためだが、既にキャンプ場関連の施設は撤去。跡地には南方の植物が不自然に集まって生えている場所があるが、その名残だろうか(写真6)。

 


写真1 港の観光案内にて

写真2 
集落跡

写真3 集落跡の道

写真4 墓。「明治元辰十一月十六日」「若戎屋…」などと見える

写真5 鳥居と灯籠(奥は常夜灯)。手前が神社に続く参道

写真6 キャンプ場跡にて

写真7 船着場にて

写真8 小祠。写真8右の岩山に祀られる

写真9 砂洲とつながった与崎(よさき)。群生するビャクシンは県指定天然記念物

写真10 浜からの風景

写真11 参道の二の鳥居。狛犬の基部には、大福屋・佐吉屋・大西屋・神戸屋・宮市屋?・木屋?・若戎屋といった屋号?が見られる

写真12 注連柱。寄附人として下司・吉貴・十川?各氏の名が見られる

写真13 神社拝殿

写真14 境内の家屋

写真15 境内の小祠群

写真16 井戸。「井側奉納者」として吉貴氏の名がある


写真17 古い瓦(拝殿の縁の下)


写真18 石垣

写真19 石垣

写真20 古い瓦

写真21 階段(正面)と石垣

写真22 水田跡

写真23 同。石垣が見える

写真24 溜め池

写真25 農地跡

写真26 水田近くの小屋の残骸

写真27 写真26にて。農耕機械

 

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