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◆柏島(かしわじま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「三津」(昭和22.3)を使用したものである

所在:呉市安浦町三津口(あきつちょうみつぐち)字柏島
地形図:三津/三津
形態:海沿いの一軒家
標高:数m
訪問:2022年11月

 

 安浦漁港より、南東におよそ2.1qにある島。
 資料『シマダス』によると、大山祇神を祀る柏島神社があり、昭和55年の時点で神主1人が暮らしていたという。高倉上皇が厳島御幸の際に隣の
馬島で休息し、その時打った柏手がこの島から跳ね返ってきたことから柏手島となり、柏島になったという。古くから三津口の漁業者の信仰を集め、また海上交通の神として祀られてきた。旧暦5月に2日間に亘って行われる例大祭では、三津口だけでなく瀬戸内各地から漁業者が集まり、当日は三津口桟橋から渡船が出る。柏島神社にある「トウベさん」は、もと馬島にあったお宮を移したもの。

 上陸は柏島神社付近より。島には、北東に柏島神社とその元宮、北に恵比須(えびす)神社、東に穴葉(あなば)神社(※1)といった複数の神社がある。柏島神社と穴葉神社の間には宮沢賢治の歌碑があるが、これは柏島神社禰宜の福沢氏が、大正時代に盛岡高等農林学で同期生として交友があったため、彼を慕い昭和51年に建てたもの(写真12)。
 穴葉神社より山越えの徒歩道があり、南の浜(海老り(えびり)の浦)付近に通じている。ここには複数の建物やその痕跡が残されているが、それらの用途は不明。浜の東に特徴的な遺構が残されているが、何かを製造していたのだろうか(写真21)。なお昭和42年の航空写真ではここから桟橋が延びているが、現在はその形跡もない。

 なお町史によると、元宮神社は馬島から遷宮された時の最初の社とのこと。「トウベさん」(同書では「トーベさん」あるいは「トウベエさん」の表記も)は、不通迫門(とおらずのせと)(※2)で見つかった女性の亡骸を祠で祀ったもので、のちに柏島に移されたという。柏島神社の境内にあるとのことだが、元宮の隣にある小さな祠(写真5)がそれだろうか。穴葉(阿奈波)神社は、大山祇神の長女・磐長姫を祭神とし、腰部、特に下腹部の病気に霊験があると伝わるという。
 また同書の「三津口湾内地名図」では、島の南東(上モタセ(かみもたせ))に金比羅(こんぴら)神社、海老りの浦に恵比須(胡)
神社が記されている。訪問後に資料を閲覧したため、その位置は未確認。

※1 町史では「阿奈波」の表記
※2 馬島と小熊島の間の
瀬戸

 


写真1 島遠景(北東側より撮影)

写真2 階段と鳥居(上陸箇所)

写真3 柏島神社

写真4 柏島神社元宮

写真5 境内社(トウベさん?)

写真6 灯籠

写真7 柏島災害復旧記念碑

写真8 中谷寅吉君表彰碑

写真9 恵比須神社

写真10 写真9そばの何かの建物


写真11 写真9・10の桟橋


写真12 宮沢賢治歌碑

写真13 穴葉神社。鳥居と拝殿

写真14 同。拝殿と本殿

写真15 穴葉神社から南の浜へ通じる道

写真16 何かの建物(以下海老りの浜)

写真17 便所

写真18 遺構

写真19 建物跡

写真20 建物跡

写真21 何かの遺構

 

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