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◆下高暮(しもこうぼ?)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「頓原」(昭和32.6)および内務省地理調査所発行の同地形図「上布野」(昭和22.1)を使用したものである

在:庄原市高野町高暮(たかのちょうこうぼ)
地形図:頓原
/頓原 櫃田/上布野
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約430〜450m(水面は約450m)
訪問:2013年5

 

 大字高暮の南西部、神野瀬(かんのせ)川沿いにある。現在は高暮ダムの人造湖(神之瀬湖)に水没。
 資料『高暮ダムの歴史と証言』によると、堰堤側の「けんぎょう」(地図画像下部)・現在の八剣橋付近の「上野」(地図画像上部)、ほか具体的な場所の記載はないが「中原」(地図画像右か)といった小集落に分かれていたよう。けんぎょうで4軒、中原で4、5軒。踏鞴製鉄が始まってからは、外部からの移住者があり下高暮全体で38軒あったという。立ち退きは昭和16年に始まり、同18年完了。同19年より湛水が始まったことが窺える。
 「けんぎょう」および「中原」と思われる場所では、集落の痕跡の確認には至らず。「上野」では湖岸が緩やかになっている場所があり、訪問時は農地跡のような石積みのほか、1基の墓石(写真6。石出氏)が見られた。墓地跡か。

 


(写真1 高暮ダム)

写真2 労働者の追悼碑

写真3 湖面(中原?付近)

写真4 低い石積み(以下上野)

写真5 墓地跡?

写真6 墓石(写真5にて)

 

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