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◆三子島(みつこじま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「呉」(昭和22.6)を使用したものである

所在:呉市音戸町渡子(おんどちょうとのこ)二丁目
地形図:呉/呉
異表記:三ツ子島
形態:平坦地に家屋が多数集まる
標高:数m
訪問:2022年11月

 

 渡子から海を挟んだ向かいにある島々。最も狭い所では、距離はおよそ110mほど。
 資料『シマダス』によると、南側の大きな島と、北側の小さな岩山が連なる島の総称。呉港からは近い距離にあるため、昭和初期から海軍の検疫所(呉海軍病院三子島消毒所。昭和3年竣工)や倉庫などに利用されていた。戦後は払い下げを受け65世帯が開拓に入ったが、同31年には三ツ子島埠頭株式会社(※)に南側の島が全島買い上げとなり、無人島化した。その後は輸入岩塩が積み替えと保管のためこの島に運ばれるようになり、岩塩が覆う白い島になった。平成22年、北側の無人島が一般競争入札に掛けられたが、三ツ子島埠頭株式会社が落札している。
 資料『海軍衛生制度史』によると、三子島消毒所の仕様は以下のとおり。

・建物
 停留所…4棟 伝染病舎…1棟 汽缶場…1棟 浴場及消毒所…1棟 事務所…1棟 番舎…1棟 賄所…1棟 薪炭庫…1棟 未消毒物置…1棟 既消毒物置…1棟 洗濯場…1棟 汚物焼却場…1箇所 水槽…1箇所 炊事場…1棟 上陸場手1箇所

・収容力
 隔離者840名(最大960名) 伝染病者26名(最大34名)

 なお読みは『シマダス』および「角川」に拠った。三ツ子島埠頭株式会社の読みも「みつこじま」となっている。

 上陸はせず、渡子より島を望んだのみ。積み上がった真っ白な岩塩が独特の景観を呈している。なお渡子の県道沿いには「三ツ子島戦没者地蔵菩薩」があるが、詳細は未確認。祠の中には三子島のものと思われる古い写真が飾られている(写真4・5)。

※ 同社のウェブサイトによると、当時の社名は三ツ子島積替埠頭株式会社(昭和52年3月現社名に改称)

 


写真1 島々の遠景。左に岩塩の山が見える

写真2 南側の島の中部の遠景。石積みが見える

(写真3 地蔵菩薩の祠)

(写真4 写真3にて。島の写真であるよう)

 

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