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◆三越峠(みこしとうげ)(仮称)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「龍神」(大正3.4)を使用したものである

所在:田辺市本宮町三越(ほんぐうちょうみこし)・同中辺路町道湯川(なかへちちょうどうゆかわ)
地形図:発心門/龍神
形態:峠の一軒家?
標高:約550m
訪問:2020年12月ほか

 

 大字三越の南部および大字道湯川の北東部、熊野古道(中辺路)沿いの三越峠にある。集落としての呼称が見られないため、便宜上峠の名称を見出しとした。
 当地にはかつては茶店や関所が設けられていたという。以下は現地にある解説(必要に応じ、本文中のルビを【 】で付した)。


 ここ三越峠は口熊野(西牟婁郡)と奥熊野(東牟婁郡)の境界で、その昔、熊野本宮へ参った人びとが、西の湯川王子から東の音無川の谷へ越えて行ったところであります。古くは平安時代、永保元年(1081)の藤原為房参詣記に「三階の人宿」、天仁2年(1109年)の藤原宗忠参詣記に「三輿【みこし】の多介【たけ】」とその名があらわれ、また同じ頃の源俊頼の「散木奇歌集」(第五羇旅)には、

 中宮亮【ちゅうぐうのすけ】仲実熊野にまいりけるに
 つかはしける
 雲のゐる みこし【三越】いはかみ【岩神】越えむ日は
 そふる心に かゝれとぞ思ふ

という和歌がみられます。
 熊野へ参る人は、この三越峠で本宮へと流れる音無川をはじめて目のあたりに見るのですが、後鳥羽上皇の正治2年(1200)の御集にみえる次の有名な歌はそのときの感懐を詠んだものと思われます。

 はるばると さかしきみねを 分【わけ】すぎて
 音なし川を けふみつる哉

 中世には、本宮町の九鬼・八木尾谷とともに、三越峠に関所を置いて関銭を徴集(原文ママ)したと伝えられ江戸時代から大正時代のはじめまでは、ここに茶店が設けられていました。峠からは音無川へ下る本道の他に、その右岸の尾根を湯峰へ通じる赤木越の道があり、近世の西国巡礼などでにぎわっていたといわれます。
 この建物は、ふれ愛紀州路・歴史の道キャンペーン「古道ピア」の開催を機に熊野古道を訪れる人びとのため、往時の「峠茶店」をしのぶ休憩施設として整備したものです。

 平成2年4月1日 和歌山県本宮町


 なお本文中にある「休憩施設」は現在は撤去されているが、初回訪問時(2010年以前)にはこの解説のすぐ脇に建てられていたことを記憶している(本宮地内)。現在の林道の交叉点付近(中辺路地内)に新しい休憩所が建てられているが、これは2010年頃完成。
 往時の茶屋の位置はおそらく本宮側にあったと思われ、かつて休憩施設があった場所の下方では複数の瀬戸物片や墓地、小さな平坦地も確認できた。林道より中辺路側は広い平坦地となっているが、これは源流部の治水工事に伴い人為的に現れたものと見られる。
 なお当地はこれまで何度も訪れていたが、2020年に墓地を確認したためレポートを作成するに至った。継続的な居住、あるいはそれに準ずる滞在があったことが窺える。

 


写真1 三越峠。左が中辺路町、右が本宮町


写真2 2010年頃まで休憩施設があった場所


写真3 瀬戸物片


写真4 墓地。中央の墓石には「先祖代々之墓」とある


写真5 小平地(茶屋跡の一部?)


写真6 本宮側の古道

 

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