◆白屋(しらや)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「山上ヶ嶽」(昭和26.7)を使用したものである
所在:川上村白屋
地形図:新子/吉野山
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:災害の恐れ(間接的にはダム建設)
標高:約350〜400m
訪問:2010年10月・2019年5月
大字白屋の南西部にある。大滝(おおたき)ダムの建設に伴い、災害の恐れが発生したため離村した。
「角川」によると、大字としての白屋は近世の吉野郡白屋村。明治22年より川上村の大字となる。明治42年106戸529人、昭和30年78戸360人、昭和57戸145人。林業が主産業で、南向きの斜面には畑が広がる。川上第二小学校(昭和58年上川西小学校に統合)・中央保育所・玉竜寺・八幡神社があった。
以下は大滝ダム堰堤付近の解説板より、ダム建設の主な沿革。
昭和35 |
予備調査開始(4月) |
昭和37 |
大滝ダム調査事務所発足(4月) |
昭和41 |
大滝ダム調査立入りと地域開発についての覚書を締結(3月) |
昭和56 |
大滝ダム建設着工同意に関する覚書・確認書の締結(10月)
仮排水路トンネル工事着工(12月) |
昭和63 |
ダム本体工事着工 |
平成2 |
着工記念式典挙行(4月) |
平成8 |
本体打設工事開始(11月) |
平成10 |
定礎式(4月) |
平成14 |
打設工事完了(8月)
堤体竣工(10月) |
平成15 |
試験湛水開始(3月)
白屋地区に亀裂を確認。試験湛水中止(5月) |
平成17 |
地辷り対策工事着工(12月) |
平成23 |
地辷り対策工事完了(11月)
試験湛水再開(12月) |
平成24 |
試験湛水完了(6月) |
平成25 |
竣工式(3月) |
なお現在の白屋橋は平成3年3月に完成している。
2010年訪問時は、家屋解体工事の最中であったため対岸より遠景を撮影したのみ。
2019年再訪。現在は「水源地の村 未来への風景づくり」と称し、協賛企業・団体により保全・整備が行われている。数箇所の駐車場や展望台・トイレが造成され、集落内の散策も可能。最近の地形図でも建物が記されているが、往時の建造物は寺院・神社も含め撤去されており皆無。複数の区劃には植樹も行われている。ただし集落上部の神社の記号付近には小さな社が祀られている(写真73)。墓地は移転が行われなかったようで、集落西部の尾根上に今なお多数の墓石が置かれている。
一部の住民はダムを見下ろす場所に立地する新設の白屋地区に移転。
以下は『白屋区誌』より当地に関する記述の抜萃。
・戸口の変遷(明治までは宗門改帳・明細帳など、昭和以降は国勢調査より)
|
延宝5
(1677) |
延享2
(1745) |
宝暦6
(1756) |
明和8
(1771) |
天保6
(1835) |
天保11
(1840) |
明治5 |
明治42 |
明治41 |
明治42 |
昭和30 |
昭和35 |
昭和40 |
昭和45 |
昭和50 |
昭和55 |
昭和60 |
平成2 |
戸数 |
35 |
55 |
84 |
75 |
105 |
82 |
74 |
106 |
14 |
14 |
|
73 |
76 |
65 |
62 |
52 |
45 |
46 |
人口 |
|
250 |
312 |
330 |
458 |
360 |
323 |
529 |
30 |
30 |
347 |
305 |
273 |
256 |
218 |
159 |
116 |
106 |
・産業
当地は南斜面で日照時間も長いため、集落内の段々畑では様々な野菜が収穫できた(ただし自家用のもので特産物はない)。田は昭和初期頃まであったといわれるが、近年は皆無。商品作物として、明治期に葉タバコの生産が見られる。
明治時代には養蚕が導入された。本格的に行われ始めたのは大正期で、松尾氏により養蚕所が設けられ37戸の養蚕組合を結成。川上村内では昭和4年の世界恐慌以降は養蚕が衰退したが、当地では継続され、戦後までおよそ30戸が養蚕に従事した。昭和30年頃村の奨励により4戸で養蚕が再開されたが、これも10年程度で終熄。
昭和58年、産業振興課の指導により生薬のミシマサイコ・トウキなどの栽培が行われた。6戸により薬草生産組合結成。
昭和61年より蒟蒻の栽培を開始。後年は5戸が携わっていた。
昭和12年頃から少数の農家では柿を栽培しており、これは近年まで継続。
戦後は鶏卵を目的とした養鶏農家の数軒あった。
昭和55年頃より松の苗木の栽培が行われ、昭和58年をピークに近年まで継続。また昭和61年より休耕地にコウヤマキ・サカキ・シキミの植え付けが行われ、村の農業委員会より指導を受けてきた。
白土の生産は古くから行われたが(寛永期に始まったと伝わる)、全盛期は明治から昭和初期。ほか石灰も昭和初期に2度採掘されたが、いずれもごく短期で終了している。
・教育
昭和40年4月1日白屋保育所開設(玉龍寺に併設)。昭和46年10月1日中央保育所開設。小学校の倉庫を改装して2つの部屋を設け園舎とした。小学校校舎の撤去後は園舎1棟を新設し、遊具も充実した。
以下は小学校の沿革。
明治7.7.7 |
白屋小学校開校(玉龍寺に併設) |
明治15.11 |
字白ノ平に校舎新設 |
大正8.3 |
閉校 |
昭和15 |
川上第二尋常高等小学校が人知(ひとぢ)より当地の字和田の坂に移転 |
昭和16.4 |
川上第二国民学校となる |
昭和22.4(※1) |
川上第二小学校となる |
昭和58.3 |
閉校 |
※1 当方による修正。本文では昭和24年とあるが、学校教育法により新制小学校が誕生したのは昭和22年
なお川上第二中学校が昭和56年3月まで存在していたが、開校時期については昭和24年とある。しかし「教育基本法に伴い」という前置きや、国民学校が小学校になったことと共に記述されていることから、昭和22年の開校である可能性が高い(教育基本法は昭和22年公布)。
・寺社
神社は八幡神社。字堂の浦に鎮座。創立時期は延喜元(901)年とされる。明治9年山之神神社を境内に遷座。同19年9月横山神社を境内に遷座し春日神社とする。昭和2年境内に神武天皇遥拝所建立。
寺院は玉龍寺。建立は文武3(699)年とされる。元禄元(1688)年、現在の宗派である曹洞宗に改宗。天明期の山崩れ以前は、字堂垣内にあった。
・その他生活
以下は主な出来事の年表。
明治42 |
白屋吊橋完成 |
大正年間 |
白屋消防組結成 |
昭和11.7.1 |
上水道完成 |
昭和11.8 |
平和橋完成 |
昭和14.3.18 |
警防団設置 |
昭和23.6 |
公民館開設(旧白屋小学校校地) |
昭和24.6 |
集落内の20箇所に外灯設置 |
昭和36.2 |
白屋吊橋再架設(昭和34年9月の伊勢湾台風により通行不能となっていた) |
昭和37 |
テレビ共聴組合設立。共同アンテナを設置 |
昭和44.4 |
白屋橋架設 |
昭和45 |
白屋公民館取り壊し |
昭和46 |
消防団詰所完成 |
昭和54.3 |
集落内の11箇所に消火栓設置
簡易水道となる |
昭和60.10 |
各戸への浄化槽設置が完了 |
平成2.4.18 |
公民館および消防団詰所新築 |
平成3.3 |
白屋区誌刊行 |
また字和田の坂には一時期鉱泉が湧出しており、明治40年頃から小屋を建て薪を焚き利用していた(明治36年分析調査実施)。昭和4年の台風により流失。
往時の家々は以下のとおり。
○は居住世帯。平成2年の△は「常住しない者」、×は「不在者(空家)」として名が挙げられているもの。記号の数でその名字の世帯数を表している。
名字 |
明治5
(白屋地区保存戸籍) |
昭和3
(白屋区人名表) |
平成2 |
石本 |
○ |
○ |
○ |
井阪 |
○ |
○ |
○ |
泉川 |
○ |
○○ |
○× |
板尾 |
|
○○ |
○× |
戌亥 |
○ |
○○ |
○ |
井上 |
○ |
○ |
○ |
岩城 |
○ |
○ |
△△ |
岩田 |
○ |
|
|
上板 |
|
○ |
△ |
植北 |
○ |
|
|
植阪 |
○ |
|
|
植田 |
○ |
|
|
植平 |
○ |
|
|
梅本 |
○ |
|
|
大西 |
○ |
○ |
○ |
大舟 |
○ |
○○○ |
○○○ |
大本 |
○ |
○ |
○○ |
岡田 |
○ |
|
|
奥田 |
○ |
○○ |
○× |
紙尾(※2) |
○ |
|
|
亀田 |
○ |
○ |
△ |
亀本 |
○ |
○ |
○○○ |
栢本 |
○ |
○○ |
△ |
北西 |
○ |
○ |
○ |
北本 |
○ |
○ |
|
倉本 |
○ |
○ |
|
車田 |
○ |
|
|
小西 |
○ |
○○○ |
×× |
小松 |
○ |
○ |
×× |
小南 |
○ |
○○ |
○△ |
坂井 |
|
○ |
|
阪上 |
○ |
○ |
× |
阪田 |
○ |
○ |
○ |
阪西 |
○ |
|
|
阪本 |
○ |
○ |
○ |
皿江 |
○ |
○ |
○ |
下井 |
○ |
|
|
下西 |
|
|
× |
杉本 |
○ |
○ |
|
住中 |
○ |
|
|
高辻 |
○ |
|
|
高森 |
○ |
○ |
○ |
滝田 |
|
○ |
|
竹垣 |
○ |
○○○ |
○○ |
竹田 |
○ |
|
|
竹本 |
○ |
|
|
辰巳 |
|
○○ |
○ |
辻谷 |
|
○ |
○ |
鶴田 |
○ |
|
|
堂本 |
|
○ |
|
中井 |
○ |
|
|
中川 |
○ |
○ |
|
中平 |
○ |
|
|
中村 |
○ |
○ |
○○ |
奈良 |
○ |
○ |
○ |
西村 |
○ |
○○ |
○○ |
西本 |
○ |
|
× |
布本 |
○ |
|
|
花本 |
○ |
○○ |
○ |
東口 |
○ |
|
|
福嶋 |
|
|
○ |
福住 |
○ |
|
|
福田 |
○ |
○ |
○ |
福本 |
○ |
○ |
○ |
桝田 |
○ |
○ |
|
松浦 |
○ |
|
○ |
松尾 |
○○ |
○○ |
○○ |
松葉 |
○ |
○ |
○ |
丸本 |
○ |
○ |
|
水本 |
○ |
○○ |
○× |
南川 |
○ |
|
|
南田 |
○ |
○ |
△ |
南本 |
○ |
○○ |
○× |
百川 |
○ |
○ |
× |
森口 |
○ |
|
|
森下 |
|
○ |
○ |
森村 |
|
○ |
|
森脇 |
○ |
○○ |
○× |
山口 |
○ |
○ |
|
横谷 |
○ |
○○○ |
○○△ |
吉川 |
○ |
|
|
吉田 |
○ |
○ |
|
(寺住職) |
○(小川) |
○(不二門) |
○(不二門) |
計 |
74戸322人 |
76戸 |
○46戸
△8戸
×14戸 |
※2 「紙屋」の誤りか。当地の名字の多くは屋号から生じたことが指摘されており、明治4年の「戸数屋号名主控」でも屋号として「紙屋」が1件見られる。なお「紙尾」は富山・石川等に分布する稀少姓。さらに昭和3年の資料から出現している「板尾」の誤りである可能性も考え得る
|