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小脇乃里由来碑・全文

 

 碑文

 小脇村は千年の昔より子安地蔵菩薩のご庇護のもとに栄えてきたのである。子安地蔵菩薩は、聖徳太子の弟君磨子親王が万民の平癒と子宝安産を祈願されて三体の地蔵尊を造られ、その一体が子安地蔵菩薩として元斉宮明神に安置されていたが、嘉吉年間大津波の水難から守るため小脇亥狩ヶ嶽に安置、その夜菩薩は村人の夢路に立ち「われ万民の諸病救済と子宝安産を念ずる地蔵菩薩なるぞ」とお告げになった。村人は隨喜して堂宇を建て尊崇した。或る年の冬稀に見る大雪に見舞れた時菩薩は「大雪崩近きにあり早く逃れ去れ」とお告げになり自ら巨岩の上に逃れられた。 
 お告げを信じた十三戸の家族は避難したものの不信の輩は聖告を信ぜず疑惑の中に大雪崩に遭い村は悉く壊滅した(※1)
。奇跡に命を得た村人は尊崇の念一層深め、この地に居住して地蔵菩薩が立たれた巖を瑞巖と称し享保二年瑞巖山高禅寺と号し智源寺四世慮雪禅師を請し開山子安地蔵菩薩を本尊とする村人の信仰は日々深く難産に苦しむ者なく平穏なたたずまいをみせていた万緑深山幽谷のこの里をこよなく愛した禅師は
 湧き出する(※2)小脇の里の水清く
  流れもつきず 高禅寺かな   と詠まれている。
 この里も昭和三十八年冬の稀有の大豪雪に高禅寺も全壊状態となったものの地蔵菩薩を覆う屋根だけ数本の柱に支えられ難を避けられたこと誠に霊験新た(※2)な菩薩である。しかし豪雪を機に村人の離村相継ぎ、織戸■■氏一家のみが留まり菩薩を守り続けてきたが、平成元年秋常徳寺に遷仏安座されるに至る。今後増々(※2)広く衆生民衆の救済と子宝安産の祈願成就にお加護を垂れ給うものと信じる。茲にこの地に生を享けまた縁ありし者崇めてこの碑を建立する。碑文謹呈 〓(てへんに妻)巖山常徳寺住職 服部▲▲

 離村者氏名 (※3)


※1 集落でお会いした方の話では、現在の集落の南にある「ソラジ」(表記不明)と呼ばれる場所とのこと。
※2 原文のまま
※3 織戸(おりと)4・上岡2・清水(しみず)2・井上(いのうえ)1・大下1の10戸。代表者のフルネームが刻まれている

 

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