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◆茨川(いばらかわ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「御在所山」(昭和24.7)を使用したものである

所在:東近江市茨川町(いばらかわちょう)
地形図:竜ヶ岳/御在所山
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約560m
訪問:2008年7月

 

 愛知(えち)川の支流、茶屋(ちゃや)川の上流にある。かつては近江と伊勢を結ぶ宿場であった。古い地図では8軒くらいの建物が見られ、住宅密集地を示す斜線で網掛けがされている。君ヶ畑(きみがはた)集落より稜線を越える道・杠葉尾(ゆずりお)集落の上で茶屋川を遡る道・三重の北勢町【現・いなべ市】より治田(はった)峠を越える道があるが、茶屋川沿いのルートならば乗用車で行くことができる。
 近世は愛知郡君ヶ畑村の枝郷。明治7年愛知郡茨川村として独立。明治22年東小椋(ひがしおぐら)村(のち永源寺町)の大字となった。
 集落は川にほど近い岸にあり、農地はあまり見られない。屋敷跡がいくつか見られるほか建っている家屋は2軒。1軒は「滋賀県立八幡工業高校 山岳部茨川前進基地」とある(写真3)。『廃村と過疎の風景』によると、ここは政所小学校茨川分校(昭和40年閉校)の跡。もう1軒は「名古屋大学 茨川小屋」(写真4)。昔の家屋を補修している。内部には「茨川小屋をご利用の皆様へ」と題された貼り紙があった(以下は本文)。


この建物は所有者の故・筒井■■氏のご厚意により名古屋大学ワンダーフォーゲル部に貸与され、1966年(S41)7月3日から今日まで当部の山小屋として使用されています。
1965年(S40)8月19日、筒井■■氏ご家族の離村をもって茨川は廃村となり、数百年の歴史の幕を閉じました。江戸時代の建築ともいわれるこの建物は、廃村・茨川に現存する唯一の旧民家であり、歴史文化的にも貴重な価値を有しています。(以下略)

2003年11月 名古屋大学ワンダーフォーゲル部・OB会


 ほかに屋敷跡が数箇所、外便所や物置小屋も残されている。
 明治11年14戸58人、昭和30年9戸42人、昭和45年2戸7人。

 町史によると、昭和41年11月最後の1軒が転出。林道が開通した昭和30年以降、過疎化が進んだという。多くは三重県桑名市・北勢町などへ転出した。主な生業は製炭。生活面では三重県に大きく依存し、治田峠を越え治田村(のち北勢町)で薪炭を売ったり食料・日用品を買ったりしていた。以下は学校の沿革。

 明治8  茨川学校設立
 明治19  簡易科君ヶ畑小学校に編入
 大正3.8  東小椋尋常小学校(※)茨川分教場設立
 昭和22  政所小学校茨川分校となる
 昭和40  政所小学校に統合

※ のちの政所小学校

 


写真1 集落入口


写真2 屋敷跡の石段


写真3 山小屋

写真4 山小屋

写真5 山小屋(写真4)にて

 

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