◆大萩(おおはぎ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「御在所山」(昭和24.7)を使用したものである
所在:東近江市百済寺甲町(ひゃくさいじこうちょう)
地形図:百済寺/御在所山
形態:道沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害?
標高:約400m
訪問:2008年7月
犬上(いぬかみ)ダムの上流、県道188号沿いにある。古い地図では多数の建物と神社・水田が見られる。所在は旧愛東町だが、多賀町を流れる犬上川の流域にあたり、愛東町内からは加領(かれ)川を遡り角井(かくい)峠を越えることになる。
集落内では、金色の仏像が道路沿いに立っている。敷地内にはかつての集落の地図(写真2)や、大萩についての解説が刻まれた碑などがある(写真1)。以下はその本文。
(略)当時民家三十六開田十五町歩開畑七町歩は天文元年頃より永録(※1)元年の間と記録され、古来住民山峽を拓き林業を主に生計をたて安永四年全戸焼失の後も再起して醇風楽土の建設に努め明治九年に分校を開設大正九年十二月全戸に電燈導入 昭和六年来道路の拡幅鋪装県道認定をみ昭和三十三年電話開通仝三十九年定期バス運行等発展一路を辿ったが昭和四十七年九月十六日山崩れの惨禍に遭遇五十年四月上岸本(※2)地先へ集団移住に及んだ うたた感無量茲に碑を建て往時を偲ぶ術とする
※1 「永禄」のことだろう
※2 旧愛東町の大字。現・東近江市上岸本町(かみぎしもとちょう)
ここの地図によると、多くの家々があったことが窺える。道路北側の石垣で段々になった土地は、農地ではなく屋敷跡だったようだ(写真3)。山手には神社がある(白鬚神社)(写真7・8)。現在残る家屋は2軒(写真11)。うち1軒は、愛東村二代目村長の辻仁一氏の生家。隣の土地には氏を讃える碑が建立され、小さな神社もある(写真12)。
橋を渡った西端には人の気配が感じられるが、地図は橋の向こうが描かれていない。大萩とひとつの共同体のように思えるが、別の集落になるのだろうか。ここでは触れないでおく。
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