◆片吹(かたぶき)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「秋葉山」(昭和21.11)を使用したものである
所在:森町亀久保(かめくぼ) 地形図:森/天竜
形態:川沿いに家屋が集まる 標高:約260m(水面は約270m)
訪問:2020年11月
大字亀久保の北部、吉川(=太田(おおた)川上流部)沿いにある。太田川ダムの建設に伴い離村した。
現地の解説板によると、かつては10数軒、300人超が暮らしていたとのこと。ダムの完成は平成21年11月。
かつての宅地はダム湖(かわせみ湖)にほとんどが水没しており、水没を免れた宅地なども造成によりほとんど面影は残っていない。唯一、山ノ神が祀られていた小山には石段などの痕跡が確認できる。
なお付替県道沿いには「片吹の郷」と称した一劃があり、水没地から移設された多くの建造物や石造物などが置かれている。
以下はそれらの説明文(公共物移設記念碑のみ、ダム建設時に作成されたもの。なお必要に応じ本文中のふりがなを【 】で付した)。
・公共物移設記念碑(写真11)
記念碑には、至霊鷲仙(りょうじゅせんにいたる)と刻まれています。
太田川流域は、東江一国の主要財源を約束する農業生産の拠点であり、水源である山々の全てが霊山として聖域化されていました。霊是山、大日山、大尾山等の信仰の山から流れる水によって、開闢以来、豊かな水を我々に供給しつづけている感謝の思いが込められています。この記念碑は、公共物を大切にしてきた片吹集落の方々の思いを後世に伝え、この地区の新たな歴史として後世に残されます。
・道路改良祈念碑(写真12)
大正15年に道路の完成を記念して建てられたもので、碑には「当片吹地区は天方村北隅の窮地にして交通極めて不便なれば……路線の改良を企て……ここに竣工を奉したり」と刻まれています。山林所有者や篤志家の援助を受け、莫大な費用と労力を投じて、片吹地区の生活を支えてきました。
なお、ここに記された道路は、現在の太田川沿いにある道路より一段上の山の中腹にありました。
・山の神様(写真13)
周りを深い山々に囲まれた片吹は、三倉とともに材木の一大産地として知られ、シイタケの栽培や炭焼きなど山と大きな関わりをもって生活してきました。村では日々の山仕事が安全に行われるよう祠を築き、「山の神様」を祀ってきました。
シイタケを栽培する家では2月7日、山仕事をする家では11月7日を「山の講」といって、ぼた餅と折り掛け(女竹を竹筒にして酒を入れ、杉の葉で蓋をしたもの)を祠の両脇にお供えして安全祈願をします。
この度、地元の総意で新しく御神体が奉祀されました。山の神様は女性といわれています。男の神様「大丸様」と合わせてご参拝いただくと、諸々のお願いが叶うと思います。なお、山の神様はやきもちを焼くことがありますので、女性は石段の下でお参り願います。
平成18年3月吉日
・西宮天王八幡神社(写真14)
当社殿の造立に関わる棟礼(以下表記ママ)が三枚残っている。
・慶長八年(1603)の年紀を有し「奉造立遠州周智郡飯田庄天方郷方向村天王両社塔一宇処」とある
・明暦元年(1655)の棟礼によると「奉新造立西宮大明神」とあり約50年後に建て替えられた
・寛延三年(1750)にも建て替えられている 大工は簿場村(※註)に住む「藤原子孫 源石衛門(表記ママ)」
※ 現存する社殿はおそらく江戸時代の後期に再建されたものと思われる。
※註 表記ママ。「薄場村」(現在の町内薄場)と思われる
・肩石【かたいし】(写真17)
人の肩に似た石で、肩がこっている人がさする(撫でる)と、石が代わりに病んでくれて、肩の痛みがとれるという。
先に痛みのある肩をさすってから、肩石に痛みを移すように、肩石を撫でること。
(肩石を撫でてから、自分の肩をさすると痛みをもらうことになるので要注意!)
・大日堂(大まる様)(写真18)
〔片吹の郷入口の解説〕
この建物は、特定の宗旨に属さない御堂建築です。通称として親しまれている「大まる様」は「おおまら様」に通じ、その名が示すように懐妊及び安産祈願を目的とする大衆の陽石信仰に伴って維持されてきた建物です。
堂内には、一七〇八年(宝永五年)の年紀を有する棟札と一七九七年(寛政九年)の棟札があり、建物の各部材の細部の意匠から現在の建物は、寛政九年のものと考えられます。この時の大工は薄場【うすんば】村に住む伊三郎ですが、大工名の傍らに「片吹惣村中」とあるので、村民あげての労働力提供があったことが推測され、このことからも、信仰の広さが窺われます。
〔堂宇脇の解説〕
大まる様は江戸時代から片吹に祀られている長さ94p太さ12pの石棒(陽石)です。子授け子供の安らかな成長、手・足・歯・耳・目などの健康、皮膚病、女性の病気の快癒など多様。
婦人がこれをさすれば子供を授かると云われ、特に女性の信仰を集めています。
・力石(写真18右下)
若い衆が持ち上げるお堂の回りを一周すると一人前といわれた丸石で、一人前の費用をもらえるようになる試金石であった。滑りやすく16貫(60s)の丸石である。
・石仏(馬頭観音と地蔵)(写真19)
片吹に最初に住み、村を開いた人の墓という。馬頭観音は馬などの息災を祈って建てられたものと考えられる。
なお地名の読みは、大日堂の解説中のふりがなや遊歩道の看板に併記されたローマ字表記より判明。
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