◆加賀沢(かがそ)
(東加賀沢)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「白木峰」(昭和28.12)を使用したものである
所在:飛騨市宮川町加賀沢(みやがわちょう―)
地形図:猪谷/白木峰
異表記:東加賀沢
形態:山中に家屋が集まる
標高:約280m
訪問:20011年6月
村の北東部、宮(みや)川右岸にある。細入村【現・富山市】の加賀沢(西加賀沢)とは川を挟んで近い距離で隣接している。
村誌によると、地名の由来は野生のガガイモがよく茂ったので「蘿〓(くさかんむりに摩)(ががいも)沢」と呼び、それが転訛して加賀沢になったといわれているとのこと。
集落付近までは新しい車道が敷設され地形が大きく変わってしまっているが、道脇の広場に「加賀澤住居跡」(平成12年建立)の碑が建っている。以下は碑に刻まれた文章の全文。
ふるさとに想う
先人達がいつごろからか、この人里離れた小さな斜面の土地を切り開き 家族同様に住民が寄り添い、永住の地として生活していた。しかし冬期間、交通が遮断され孤立状態となり、病院学校その他あらゆる面で不便を痛感した。
昭和三十年から四十年代にかけ不安と動揺を感じながらも子供の将来を考え、住民それぞれが離村を決断した。
平成十二年に国道三百六十号、小豆澤〜蟹寺間が改修され、加賀澤の地形が大きく様変わりした。このため、人々の記憶から忘れ去られることがないよう、加賀澤住居跡地に石碑を建て後世に申し伝えることにする。
また碑には往時の家として、下流側より重谷・岡田・幅下・上出・吉上2・八沢・道上・西野・大上・下方・道下の12軒が描かれている。
集落では、車道の終点に物置小屋が1棟あるほかに建物はない。農地跡や屋敷跡が数箇所見られる。神社は未確認。
なお資料『加賀澤村と杉谷』から、児童は富山県に越境して西加賀沢の加賀沢分校に通学していたことが分かる。
「角川」によると、大字加賀沢は、近世の吉城郡小島(こじま)郷の加賀沢村。明治8年坂下(さかしも)村(のち宮川村)の大字となる。
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