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◆椚平(くぬぎだいら



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高遠」(昭和33.12)を使用したものである

在:諏訪市湖南(こなみ)
地形図:辰野/高遠
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約930m
訪問:2013年11

 

 大字湖南の南部、沢川(天竜(てんりゅう)川支流)沿いにある。
 現在は出入りのある家屋が2軒ほど。以下は
「椚平の由来」の碑の全文(■は判読できなかったもの)。


椚平は西暦一六六一年寛文年中南眞志野
関作左ヱ門が開拓した。当時高島藩より山番として向けたものである。高遠藩との山争いの為に関所も置かれた。以後三百余年昭和に入っては戸数も十五戸にふえ山林養蚕を主として生計をたてていた。其の間道路の開設等には部落をあげて努力してきた。しかし大東亜戦争の終結そして経済の進展に伴い過疎の波もこの山間に打ちよせ一人減り二人減り昭和四十七年の今日ではたった八戸のみとなった。これだけの戸数では椚平区を維持することもできず交通機関のバスも運行も中止となり、かつ加えて養蚕・水田・山林では生計の道がたたず伊那へ諏訪へ通って現金収入を計らざるを得なくなった。ましてや子供の教育にも支障をきたし、後を継ぐ青年もなく消滅寸前にあった。時の■(岩?)本諏訪市長の積極的なご助言をいただき、いくたびか区の総会を開いた結果全戸移住と決定し、部落有る林七十・七町歩を市に寄付したところ市からは多額の移住資金をいただき、住みなれた椚平部落を閉鎖することとなった。ここに、その経過を碑に託して永久に記念とする。


 なお箕輪・諏訪の境界には分割記念碑(写真8)がある。「東箕輪村」「湖南村」「昭和十九年分割完了」などといった文字が見られ、現在の境界が決定した際に記念したものと思われる。

 


写真1 道と廃屋


写真2 廃屋

写真3 消防団分団屯所

写真4 何かの跡

写真5 農地跡

写真6 小堂と石仏群

写真7 廃屋

写真8 分割記念碑

 

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