◆坊ヶ峯(ぼうがみね)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「甲府」(昭和21.10)を使用したものである
所在:笛吹市境川町坊ヶ峯(さかいがわちょう―) 地形図:甲府/甲府
形態:? 標高:約340m(地名表記付近)
訪問:2023年4月
旧境川町の北部、境川(笛吹(ふえふき)川支流)とその支流に挟まれた山中にある。また「坊ヶ峯」は大字名であるとともに、当地にある小さな山の名称でもある。
大字の領域内では広く畑が耕作されているほか、山上に複数の放送局の送信所が建設され多数のアンテナが林立している。また北側に広場と展望地があり、遠く甲府方面・山梨市方面を望むことができる。展望地の脇には石仏と石塔が置かれている(写真6)。以下は頂上広場にある坊ヶ峯の説明板より。
坊ヶ峯は、古くは棒ヶ峯とも記されているが、古代以降の修験の地として宿坊が立ち並んでいたので、坊ヶ峯と呼ばれるようになったと言われている。その後、永正5(1508)年には、家督を継いだばかりの武田信虎が、坊ヶ峯の地で2度にわたって行われた合戦で勝利し、武田家興隆の礎を築いたとされる。現在は、勝負が池という名称に、合戦の名残をわずかに留めている。
昭和25年には「観光山梨十景」に選ばれ、県内で眺望絶景の地として有名となった。
坊ヶ峯からの眺望は甲府盆地のみならず、東には大菩薩嶺や乾徳山のある秩父山地、北には金峰山や八ヶ岳、西には甲斐駒ケ岳や北岳の南アルプスも望むことができる。
近年は、その立地条件から、テレビや携帯電話の塔が立ち並び、リニア中央新幹線も見ることができる。
標高は394.9m
(※)。
※ 山自体の最高地点は400m強だが、広場付近には地形図には394.7mの三角点があり、この場所の標高を指しているよう
現地で会った方の話では、分かる限りでは人家があったという話は聞かないという。昔から通いで畑(ほとんどがスモモ、一部に桃)が耕作されていた。
旧版地形図や過去の航空写真を頼りに建物があったと思われる場所を訪れたところ、石垣のある平坦地(写真7)や数基の石塔、瓦といった痕跡を確認することができた。
資料より古くは地内に居住者があることが判明したが(後述)、集落があった位置は不明。
村誌によると、もと藤垈(ふじぬた)村の入会山であったが、農民が畑を開墾し小集落をなすようになったとのこと。明和3(1766)年の検地よりより一村として扱われるようになる。江戸時代中期の「甲斐国志」では、文化3(1806)年6戸25人。「坊又作棒藤垈村ノ部内一山突峰アリテ村名トス宝暦中新墾シテ建人戸」と説明されている。
大字は、黒木平(くろきだいら)・合ノ沢(あいのさわ)・唐沢(からさわ)・帯石(おびいし)の4字からなる。
スモモについては、昭和7年前後に西洋種が導入されたといわれる。境川村では本来養蚕が主産業であったが、養蚕よりも生産性が高いこともあり、昭和30年頃本格的に農業経営に取り入れられるようになった。
また「角川」によると、大字坊ヶ峯は近世より見られる坊ヶ峯新田(八代郡のうち)。明治7年圭林村(のち境川村)の大字となる。
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