◆赤志(しゃくし)
※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「三峯」(昭和7.3)を使用したものである
所在:山梨市三富川浦(みとみかわうら) 地形図:雁坂峠/三峰
形態:川沿いの斜面に家屋が少数集まる 標高:約1,140m?
訪問:2023年4月
大字川浦の中部、久渡(くど)沢(笛吹(ふえふき)川支流)の左岸側にある。
埼玉の熊谷と山梨の甲府を結ぶ街道・旧秩父往還の道中にあり、雁坂(かりさか)峠の登り口に当たる。
『東山梨郡誌』では、雁坂峠の解説の中に「川浦より赤志に至り、それより上下八里の山路は、人煙絶えたる小徑にして、牛馬を通ぜず」と見られる。
また書籍『わが山山』では紀行文の中で言及されており、「秩父往還の最奥の部落は赤志といふ」「赤志のあたりは氣持のいい草原で、…(略)僕達はこの部落の一軒から米や草鞋を分けて貰い、それから山へはひりこむのを常としていた」(以上昭和8年7月「文藝春秋」の記事の引用)、「廣瀬から小一里も進むと、快よい草原があつてその間に點點と家が立つてゐるのが、笛吹川最奥の赤志といふ部落である」(昭和9年6月「東京日日新聞」の引用)とある。
家屋は支流の南北にそれぞれあったようだが、無人となった時期が比較的早いことや国道の建設に伴ってか痕跡は皆無。北側の宿舎跡のような建物は、国道工事に伴うものだろうか。なおこの付近には古びた小祠が見られるが(写真3)、往時との関連は不明。
水道施設(広瀬第2配水池)(写真4)の下の斜面には陶片などの遺物が複数見られるが、おそらく後年のものと思われる。
上の地図画像に見られる軌道は、現在の広瀬集落の南部からナメラ沢・峠沢の合流部付近まで通じているが、詳細は分からず。
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