◆中野俣(なかのまた)
所在:勝山市北谷町中野俣(小字は各項目参照)
旧北谷村の北西部、滝波(たきなみ)川支流の杉山(すぎやま)川上流にある。大まかに中心の本集落・西又・南又(みなまた)に分かれる。 昭和30年頃は、本村に25戸、南又に12戸、西又に22戸の民家があった。昭和38年の豪雪が契機になり、昭和41年頃までに全戸が離村(市史では昭和43年まで老人が1人とある) なお中日新聞(昭和39年10月19日)の「みすてられる中野俣」と題した記事が『ふるさと・中野俣』で引用されており、この中の当時の区長の話によると明治10年頃75戸266人、大正期45戸、昭和初め34戸、終戦時27戸。ほとんどが北海道・滋賀に移住していったという。終戦後は水田と製炭で生活。昭和38年の豪雪の時は16戸あったが、雪融けと同時に移住者が増えた。
大字中野俣は近世の大野郡中野俣村。明治22年北郷村の大字となる。昭和29年からは勝山市の大字となり、「北郷町」を冠称(角川)。
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所在:字村岡・堂々・中野・尾山ほか
『ふるさと・中野俣』の離村住民の記憶では、家は南江4・上2・大道2・落合2・堀明2・横平2・与坂2・上山・道下・森下・山岸・山口・山腰各1(ほか屋号のみのものが3)。
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写真1 「平和の礎」の碑 |
写真2 「望郷」の碑 |
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写真3 小屋 |
写真4 屋敷跡の碑と小屋 |
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写真5 屋敷跡の碑 |
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所在:字西俣・孫四郎・焼尾ほか
『ふるさと・中野俣』の離村住民の記憶では、家は上山2・織田・杖谷・西又・村山・安岡各1(ほか屋号のみのものが1)。
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写真6 遠景 |
写真7 小屋 |
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写真8 家屋 |
写真9 小祠 |
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写真10 何かの堂宇 |
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所在:字上南俣・下南俣ほか
『ふるさと・中野俣』の離村住民の記憶では、家は山口3・尾田・加藤・村山・杖谷各1。
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写真11 遠景 |