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◆東山(ひがしやま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「經ヶ嶽」(昭和24.1)を使用したものである

所在:勝山市北谷町谷(たに)
地形図:北谷/越前勝山
形態:山中に家屋が散在する
標高:約700m〜
訪問:2012年11月

 

 大字谷の南東部にある。現在の東山いこいの森付近からやや北側にかけての一帯。
 資料『北谷物語』によると、東山は谷の枝村。昭和40年頃まで出作りの民家が15軒ほど散らばっていたという。
 いこいの森管理棟で会った元住民の話によると、多いときで17、8軒。ほとんどが市内に転出したという。炭焼きが主な産業で、焼畑や僅かな田の耕作で生活。通学は北谷小学校・中学校で、冬期(12-3月)は学校の宿舎で生活していた。離村後は元住民らで「東山会」を結成し、年に一度集まっている。分かる範囲の家は次のとおり(ほぼ西側から。■は表記不明。字数は考慮なし)。

屋号 備考
河奥(かわおく) 文四郎(ぶんしろう)  
中村(なかむら) 四郎■三九郎(しろべさんくろう)  
護摩堂(ごまんどう)  
南茂(なんも) (いわ)  
山口(やまぐち) 文太夫(ぶんだゆう)  
織田(おだ) 次(治?)郎衛門(じろえもん)  
小田(こた) ■右衛門(そううえもん) 現在は管理棟が建つ

中村

五助(ごすけ)  
苅安(かりやす) (よしろう)  

 訪問はいこいの森周辺のみであり施設等を見たのみであったが、さらに北側の山中には遺構等が散在していると思われる。施設から少し進んだ道下に祀られているのは「お千代(ちよ)の神様」(写真3)で、東山会が集った際には掃除され、きれいに管理されている。なお国道沿いに南茂家の墓(写真6)があるが、集落内の元の位置から移設したものだろうか。

 


写真1 管理棟

写真2 バンガロー

写真3 お千代の神様

写真4 平坦地

写真5 屋敷跡付近

写真6 墓

 

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