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◆赤岩(あかいわ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「經ヶ嶽」(昭和24.1)を使用したものである

所在:白山市白峰字赤岩
地形図:加賀市ノ瀬/越前勝山
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約750m〜
訪問:2011年8月

 

 大字白峰の南部、手取(てどり)川右岸にある。
 手取川を渡り古い地図を頼りに右岸を探索してみたが、昭和9年の水害のためか何も見つからなかった
。後述の世帯は私が探索した場所よりも少し上流部にあったよう。No.7-9は、スキャン画像で右上にある斜面上の家屋と思われる。三ッ谷川の合流部付近の路傍に1基の墓(永井家)(写真2)があるが、これは市ノ瀬(いちのせ)由来のものだろう。
 以下は村史より、集落に関する記述を抜粋したもの。

 昭和31年の各戸の様子は次のとおり。( )は季節的な出作り住居。

  屋号 備考
1 加藤 トメ  
2 久司 キユウヨモニキチ  
3 加藤 コイザモ  
4 ユウキヨ  
5 (西山) (ヒコザ) 白峰より
6 鈴木

イツチヨモ

 

 当時、ほとんどが炭焼きを営んでいる。
 明治29年・昭和9年に水害に遭い、殊に昭和においては10数戸の人家や学校・虫尾神社が押し流され、荒れ果てた河原になってしまった。神社はその後山上の現在地に再建。学校も対岸に設けられた。
 かつては下流の白峰・鶴来よりも杉峠・小原峠を隔てて越前との結びつきのほうが強かったという。市之瀬まで車道が通じて以来、下流との結びつきが強くなった。
 以下は村史および白峰小学校のウェブサイトより、分かる範囲の学校の沿革。

 明治7.6.1  市ノ瀬の笹木氏宅を借り受け、赤岩小学校創立
 ?  加藤氏宅に移転
 明治34  白峰尋常小学校の赤岩分教場となる(明治28年の大火・同29年の水害で児童数が激減したことによる)
 昭和9.7.12  水害により分教場校舎流出。翌年まで民家を借り受け授業を行う
 昭和44  閉校

 なお昭和41年7月1日、白峰中学校赤岩分校が廃校。
 以下は昭和33年から廃校までの児童数。

年度 昭和33 昭和34 昭和35 昭和36 昭和37 昭和38 昭和39 昭和40 昭和41 昭和42 昭和43 昭和44 昭和45
児童数 19 21 25 27 15 8 8 6 6 5 3 2

 


写真1 手取川右岸

(写真2 墓)

 

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