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◆鴇ヶ谷(とがたに/トガタン)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「白峯」(昭和32.7)を使用したものである

所在:白山市鴇ヶ谷
地形図:白峰/白峰
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約480m(ダム水面は約460m)
訪問:2011年8月

 

 村の西部、手取(てどり)川左岸で下田原(しもたわら)川の合流部付近にある。
 
以下は村史より集落に関する記述を抜萃・要約。

 明治19年42戸、明治末期には10戸あまりが北海道へ移住。大正7、8年頃33戸。さらに昭和30年頃の林道開設を期に離村者が急増。昭和49年9月8日、閉村式挙行。
 氏神は伊野原神社
 集落内に水田はない
 出作りの焼畑は主な生業で、ほぼ全戸が従事。大正期、出作地では養蚕・麻栽培・製炭も併せて行った
 養蚕は大正7、8年に最盛期。全戸が従事し、出作先で行う
 製炭は明治末期から大正初期頃より。大正末期には半数近くの家が従事。最盛期は終戦直後
 以下は昭和48年の各戸の様子。

  屋号 備考
1 才鷹 ジンザ 道場主
2 笠谷 ギチョモ  
3 山内 フジタロ  
4 曽我 デンベ  

 また集落には、深瀬(ふかぜ)小学校鴇ヶ谷分校があった。創立は明治35年12月1日か(当時深瀬尋常小学校鴇ヶ谷冬季分教場)。閉校時期も不明。「鴇ヶ谷分校付近」の写真が掲載されているが、開校中であるか、また閉校後であっても写っている建物が校舎であるかは分からない。
 なお大字鴇ヶ谷は、近世の鴇ヶ谷村。明治22尾口村の大字となる。明治22年43戸228人(角川)。

 


写真1 神社

写真2 碑

 

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