◆六郎谷(ろくろうだに/ロクロダン)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「石動」(昭和30.4)を使用したものである
所在:小矢部市六郎谷
地形図:石動/石動
形態:谷沿いに家屋が集まる?
標高:約170m
訪問:2011年6月
市の北部、福岡町【現・高岡市】との境にある。
資料『村の記憶』によると、無人化は昭和48年。子撫(こなで)川ダムにより農地が水没し、県の指導もあり離村することになったという(※)。離村時は6戸23人、最盛期で13戸80人。
現地では谷に沿って数軒の屋敷跡や農地跡が見られたほか、やや開けた場所で「八幡宮」と刻まれた石柱が見られた(写真3)。また農地跡の一角では何かの碑が見られたが、文字が風化しており内容は分からなかった(写真4)。『村の〜』に記載されている「八幡宮の鳥居と保存庫」は確認できず。
なお大字六郎谷は、近世の礪波郡五位荘の六郎谷村。明治22年礪波郡子撫村(のち石動(いするぎ)村)の大字となる。明治2年11戸65人、同5年13戸56人。明治初年の頃まで轆轤師がいて木地を作り、また和傘の頭部を生産して高岡の業者と取引していたといわれる。明治以降は主に炭焼きを副業とし、木炭を多く生産した(角川)。
※ 「角川」では昭和50年の時点で「1戸2人」とある
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