◆五十谷(いかだに/イカダン)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「邑知潟」(昭和34.4)を使用したものである
所在:氷見市五十谷
地形図:能登二宮/氷見
形態:谷沿いの緩い傾斜地に家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:100m前後
訪問:2011年6月
市の北東部にある。
最近の地図でも数軒の建物と広く水田の記号が見られる。
「角川」によると、戦前は農耕や植林・製炭、戦後はシイタケ栽培に力を注いでいたという。昭和52年に大規模な地辷りが発生し、5戸(全戸)が倒潰。県・市によって復興工事が進められたが、住民は他地域に移住し、残った水田に通勤耕作をしている。神社は少彦神社。明治期に住吉神社から改称された。
資料『村の記憶』によると、無人化も昭和52年。地辷りでは家屋のほかや田畑にも被害が及んだという。
集落にはのどかな田園風景が広がっており、また家屋も散見されるので、一見して災害のため無人になったとは分からない。しかし集落内にある看板(写真2)が、当地区が地辷りの危険に曝されていることを物語っている。訪問時は「特別栽培米推進モデル地域」の看板が掲げられ、稲の栽培に力を入れていることが窺えた。田の一角に小さく木が茂った場所があり、ここは墓地となっている(写真4)。また神社は西側集落上部にあり、社殿は比較的新しい(写真5)。
なお大字五十谷は、近世の射水郡八代荘の五十谷村。明治22年射水郡宇波(うなみ)村(のち氷見市)の大字となる。昭和35年9戸41人、同50年5戸26人(角川)。
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