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◆角海浜(かくみはま



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「彌彦」(昭和22.3)を使用したものである

在:新潟市西蒲区角海浜
地形図:角田山
/弥彦
形態:海沿いに家屋が集まる

標高:約10m
訪問:(2017年5月)

 

 大字角海浜の北西部にある。巻原子力発電所建設予定地であったが、現在は撤回されている。
 以下は町史より当地の概要。

延宝3(1675)年233戸、明治12年115戸、明治21年102戸573人、昭和45年8戸12人、昭和49年無住化。
近世年間に人口が著しく多いが、文政11(1828)年・天保4(1833)年・弘化4(1847)年などの地震によって陸地が削られてしまったため人口が減少している。また元禄年間(1688-1704)より海岸の浸蝕により家々は移転。海蝕は昭和初期まで続き、次第に居住地域は失われた。昭和27年頃、字宮川の沖合2〜3mの所で古井戸が、昭和39〜49年の土木工事で海岸の急峻な斜面から墓石と骨壺が多数発見されており、家々の山沿いへの後退を物語っている。さらに高度経済成長期の過程で人口流出が加速し、離村と過疎化が進行。原子力発電所の建設計画により、全戸が離村した(後述)。
神社は八幡社。寺院は称名寺および城願寺(いずれも浄土真宗)。檀家の離散により、それぞれ町内巻乙・巻甲に移転。
大字としての角海浜は、近世の蒲原郡角海浜村。明治34年浦浜村の大字、昭和30年巻町の大字となる。
集落の始まりは、能登国深見村(石川県門前町深見)(※1)の住人が、重税と不漁のために移ってきたもの。慶長2(1597)年に藩主が帰村を勧め、80戸のうち65戸が深見村に帰っていった。これは平成元年に『諸岡村史』より明らかになったもので、伝承では能登の「ひかりの浦」(輪島市光浦町(ひかりうらまち))から来たと信じられていた。
主な生業は、古くは廻船業。のち漁撈・製塩・「毒消し(※2)」売り。明治初期はほとんどが大工であり、ほか農業・漁業・木挽等。この頃から女性による毒消しの行商が盛んに行われた。「角海の毒消し」として特に知られ、近世年間に称名寺が製造権を与えて以来、五ケ浜(ごかはま)・角田浜(かくだはま)・越前浜(えちぜんはま)に広まり、関東・東北への行商が行われた。明治期〜昭和期に隆盛。
漁業は古くから続けられているものの零細。これは漁業が盛んな間瀬(ませ)と五ケ浜の間に挟まれているため。
農地は狭小。田は皆無、畑も僅かで、自家用の野菜類を栽培する程度であった。

※1 通史編より。資料編では「能登国(福井県)鯖江市三国町深見」とあるが、誤りだろう
※2 止瀉等に効用のある丸薬。「越後の毒消し」として知られる。角海浜が発祥の地

 また以下は町史より、巻原子力発電所建設計画の経緯。

新潟県内では、昭和40年代初期に東京電力により柏崎刈羽原発の建設が決定していた。これに続き、東北電力により角海浜での原発建設計画が上がった。
昭和43年頃より、東北電力が不動産業者に委託し「観光開発」の名目で用地を買収。当時は原発関連と気づく人はほとんどいなかった。
昭和44年春に国・県の現地視察が行われ、計画が次第に知られるようになった。
昭和46年5月、角海浜地区を原発建設予定地として正式に発表。
原発建設が表面化した当時、角海浜は8世帯14人。過疎状態であったこともあり、用地買収には柔軟な姿勢を示していた。不在地主も含め個別に買収が進み、昭和49年7月には一括交渉がまとまり全戸が移転することを決意。しかし民有地に若干の未買収地が残っており、後に混乱する原因となる。
昭和44年の原発建設計画の新聞報道以降、町内における原発建設反対組織が相次いで結成される。
昭和48年の第一次石油危機は、原子力発電をめぐる情勢を大きく変化させた。「石油に代わるエネルギー源」として原発が全国的に脚光を浴びると、町内では町議会と民間団体の中から原発建設推進を求める動きが強まる。
昭和52年、町議会において「原子力発電所建設同意に関する決議」を可決。正式に原発設置に同意を与える。
昭和56年電源開発調整審議会において巻原発建設計画が承認され、国の電源開発基本計画に組み込まれる。さらに昭和57年に東北電力が一号機原子炉設置許可を通産省に提出。順調に歩みだすように見えたが、計画は以後進展しなくなる。
昭和58年度末、東北電力は原発用地のうち97%を買収済みであった。買収のめどが立たない用地は0.15%に過ぎなかったが、反対組織の占拠や墓地の移転を巡っての訴訟、土地返還の訴訟などにより着工の見通しが立たなくなる。以後着工の延期を繰り返し、平成に至る。

 なお東北電力のウェブサイトによると、平成15年12月に建設計画を撤回。

 五ケ浜方面よりの訪問を試みたが、ゲートにより進入できず。集落後方の国道から降りる古い道(写真1)を伝い、集落跡地の遠景を眺めるにとどめた。

 


写真1 集落への道


写真2 集落跡方面の遠景

 

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