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◆田代(たしろ



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「岡野町」(昭和22.3)を使用したものである

在:十日町市上野(うえの)
地形図:岡野町
/岡野町
形態:谷沿いに家屋が集まる

標高:約290m
訪問:2016年11月

 

 大字上野の北西部、南沢川(信濃(しなの)川二次支流)の最上流部にある。
 現地には「田代趾」(写真1)の碑が建ち、これによると最盛時は10戸(※)、離村は昭和42年であることが窺える。谷沿いには少しの水田が耕作され、何かの池に転用されたものもある(写真9)。
 以下は「田代趾」の碑文(文章のみを抄出した新しい碑(写真2)もあり、そちらには句読点が加えられやや読みやすくなっている)。


 中島兄弟二人が、草深い田代の開拓を始めたのは、およそ万治 寛文年間(一.六五八年〜一.六七三年)のことと伝えられる 以来三百有余年、四季それぞれの色彩りを見せる自然の中で 一致協力して力を伸ばし、一時は十戸を数えたが、時代の流れに押されてついに昭和四十二年の閉村に至る
閉村二十五周年を迎え、改めて祖先の努力に感謝し、田代の歴史を子孫に伝えるために経碑する

 平成四年八月


 なおHEYANEKO氏によると、当地には上野小学校田代冬季分校があったとのこと。

※ 屋号は「お前」「藤右衛門」「由左衛門」「新屋」「浦」「宮下」「林」「福実屋」「向山」「柳沢」(表記順)

 


写真1 碑。右の石塔には「齋 猿田彦大神」とある


写真2 石塔と碑。左のものには「日本」、右の大きなものには「二十三夜塔」とある


写真3 屋敷跡

写真4 建物跡と畑(奥)

写真5 石仏群(写真6と同じ場所)

写真6 墓(写真5と同じ場所)

写真7 建物跡

写真8 水田

写真9 池

 

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