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◆大清水(おおしみず



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「柿崎」(昭和22.2)を使用したものである

在:柏崎市大清水
地形図:柿崎
/柿崎
形態:山中に家屋が集まる

標高:約150m(集落。大清水観音は約190m)
訪問:2016年11

 

 市の北西部。集落は大字の中部にある。
 住職が当地を離れ無住となった現在も、山上に大泉寺や観音堂(大清水観音)、その他の施設等が残り管理されている。案内板には、木喰(もくじき)堂(写真1)・大泉寺本堂(写真2)・観音堂(写真3)・西国三十三箇所観音札所の石仏(写真4)・仁王門(写真6)・地蔵堂(写真8)・宝篋印塔(写真3)・飯綱(いいづな)神社(写真9・10)などが紹介されている。
 木喰堂は、木喰上人が彫った子安地蔵を収めた祠。かつては市指定文化財の「大泉寺木喰上人木額」も祠に掲げられていたが、現在は外されている。
 大泉寺は真言宗の寺院で、山号は東山、院号は延命院。本尊は阿弥陀如来。
 観音堂は、国指定の重要文化財で、明治39年4月14日に指定された(詳細は後述)。
 仁王門は、本来の寺院入口であったもの。市指定の文化財。
 飯綱神社は、本殿が県指定の文化財で昭和27年12月10日に指定されている(詳細は後述)。

 以下は、観音堂の説明板より(市教育委員会による)。

 大泉寺は、日本海を見おろす海抜二〇〇メートルの山上にあって、僧泰澄の創立とつたえる真言宗の名刹である。
 源義家の社参以来、歴代武将の尊崇を受けた。戦国時代には越後守護上杉房能、越後国主上杉謙信、景勝等が参詣し武運の長久を祈っている。
 永禄二年(一五五九)五月二十一日落雷により堂宇焼失、直ちに再建に着手し翌三年に再建された。また、昭和二十五年春国費四百万円をもって修築に着手し、二十六年十月復元した。
 解体中の肘木に「永六仁年(ルビ:永禄二年)」の墨書きが発見され、観音堂とあわせて肘木も国指定にされている。
 堂は、けた行三間、はり間四間、一重屋根寄棟づくり、茅葺の禅宗様建築で簡素な構造であるが、虹梁、大瓶束、拳鼻などの絵様や曲線などに再興時以前の時代形式や手法がみとめられる。

 また以下は飯綱社の説明版より(県教育委員会・市教育委員会による)。

 一間社(正面の柱間が一つ、柱間が三つのものを三間社という。)の流れづくり(前の方の屋根が前に長く伸びた形。)の社殿に、見世棚づくり(小さな社に用いる社殿の一形式で、店先を思わせる形をいう。)とし、茅負以上の屋根を欠いている。もとは、そのまま露出していた者を、近世になってから、おおいの屋根を造って社殿を保護するようにした。
 屋根をささえている柱上部の組物(斗(ます)や肘木)や、幣軸(戸口の両側と上の三方に取り付ける額縁状の部材)の曲線などのこまかい所に和様と禅宗様とをとりまぜたあとが見られ、室町時代の様式をはっきりと残している。

 なおこれら以外にも集落へ降りる道脇には清水(「功徳水」の名がある)が湧出し(写真13)、付近に湧いていた閼伽水・清浄水(いずれも現在は涸渇か)とともに地名の由来となっているよう。
 集落は境内から南方の山中にあり、屋敷跡と思われる平坦地を1箇所確認。最近の地図でも車道(実線)が記されているが、現在は廃道となり徒歩でも難儀する。またいくらか記載されている家屋も皆無。

 「角川」によると、「農業地域であったが、近年過疎化が進み、大泉寺の住職のみが居住」とある。昭和63年1戸1人。

 


写真1 木喰堂


写真2 本堂

写真3 観音堂(右)と宝篋印塔(左)

写真4 観音堂前から柿崎方面を望む

写真5 石仏群

写真6 仁王門

写真7 写真6裏手の平坦地。右に墓石

写真8 地蔵堂の六地蔵

写真9 神社・鳥居

写真10 神社・本殿

写真11 「観音道」とある石柱

写真12 石造物群

写真13 清水

写真14 集落への道

写真15 農地跡

写真16 倒潰した小屋

写真17 屋敷跡?

写真18 墓石?

写真19 平坦地 

 

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