戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆小芋川(こいもがわ



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小千谷」(昭和23.6)を使用したものである

在:魚沼市竜光(りゅうこう)
地形図:小平尾
/小千谷
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:豪雪

標高:約130m
訪問:2016年11

 

 大字竜光の北部、小芋川(魚野(うおの)川二次支流)沿いにある。
 以下は町史より当地の概要。

竜光村の枝郷で、「芋川新田」とも呼ばれていた。水田耕作・養蚕のほか、春はゼンマイ、秋は薪などが出荷された
山間地の水田には「つつみ」と呼ばれる溜め池を利用した食用鯉の飼育が江戸時代から行われ、明治期になって観賞用の鯉の飼育も増加。当地では昭和初期に導入され、副業として養鯉が行われるようになり、次第に地区全体に広がった。昭和35年頃から錦鯉ブームが始まり「小芋川の昭和三色」として注目されるようになると、水田は養鯉池に作り変えられ、また減反政策も加わり、昭和55年には水田は姿を消し養鯉業専業の集落となった
過疎化に加え、昭和55年12月より降り出した雪により翌年1月に6世帯が避難。この頃より集団移転の話題が持ち上がる。3月15日、避難していた住民が帰宅したが、その日の午後に大規模な雪崩が起こり集落の直前まで押し寄せた。この雪崩により集団移転が決定的なものとなり、以後町と協議を進め4月10日の会合で全戸移転が決議された
9戸のうち6戸は県の「防災のための住宅移転事業」の補助を受けて下島(しもじま)に造成された宅地へ、3戸は「がけ近接危険住宅移転事業」の補助を受け町内・長岡市・湯沢町へと転出。昭和56年11月13日、町主催の閉村式挙行。12月2日には引越し作業もすべて終了した。養鯉業は継続され、4組(※刊行当時)が通っている
昭和30年22戸、同35年22戸、同40年22戸、同45年14戸・同50年9戸・同56年9戸
宇賀地小学校小芋川分校は昭和55年10月閉校(※)。通年の分校であったが、昭和50年より冬季分校となった。堀之内中学校小芋川冬季分校は昭和46年閉校

※ 「角川」によると、昭和44年10月設置。当時は竜光小学校小芋川分校


 現地では数箇所の宅地が見られ、小屋の類が建っているものが多い。養鯉は現在も行われ、川沿いには養殖池が段々になって広がっている。HEYANEKO氏の調査によると、学校跡は写真5であったよう。

 


写真1 集落風景


写真2 小屋

写真3 集落風景

写真4 屋敷跡?

写真5 学校跡

写真6 池

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ