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◆大芦(おおあし)河岸



※明色部
※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「熊谷」(明治43)を加工し使用したものである

所在:鴻巣市大芦/吉見町小八林(こやつばやし)
地形図:熊谷/熊谷
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約20m
訪問:―

 

 大字大芦の南部(吹上町)、および大字小八林の北部(吉見町)にある。荒(あら)川沿いで、舟運の拠点であった河岸(かし)が置かれていた地域。
 資料『吹上郷土読本』によると、享和3(1803)年には問屋が成立したとされている(明治7年の船積問屋調べ)。対岸の地名より、小八林(小八ッ林)河岸とも。同書が行った聞き取りでは、大正後期から昭和初期の家々は以下のとおり。多くの家が昭和5、6年に移転し、昭和16年に最後の世帯が移った後は長島石屋の作業場が残るのみとなった。

  地区 備考 移転
1 大芦 秋池 大芦河岸の元締。廻漕業 昭和13
2 須田    
3 吉岡 石工 明治中頃
4 小八林 利根川 筏乗り。船頭  
5 酒・雑貨・薪炭・繭等を商う  
6   昭和16
7 No.6の分家  
8 中山 酒・タバコ  
9 長島 石工  
10 筏乗り  
11 筏乗り。豆腐・饅頭も商う  
12 宮下 膳箱屋  

 また「大芦の渡し」と呼ばれる渡船場もあり、ここは日光脇往還(千人同心街道)(※)の道筋に当たっていたと考えられている。明治後期に河岸場の元締であった秋池氏により私設の橋(有料)が架かり、渡し場は廃止。荒川改修の後、橋は公共のものとなった。
 大正以来の河川改修の後も、石屋の住居跡や水神宮碑が当時の面影を残しているとのこと。

 存在を把握したのが事後であったため、未訪問。

※ 江戸時代、日光の勤番を命ぜられた八王子千人同心(=警備集団の名称)が、八王子から日光までを往還した街道

 

 

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