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◆日中(にっちゅう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「熱鹽」(昭和22.4)を使用したものである

所在:喜多方市熱塩加納町熱塩(あつしおかのうまちあつしお)
地形図:飯森山/熱塩
形態:川沿いの一軒家?
標高:約420m?(水面は約480m)
訪問:2023年6月

 

 大字熱塩の南部、押切川左岸にある。現在は日中ダムの人造湖(日中ひざわ湖)に水没。
 ここでは近世に存在した村のひとつ「日中村」ではなく、この村内にあり、旧版地形図に「日中」と記されている地区(日中温泉)について触れる。

 村史によると、日中温泉は、文化10(1813)年日中村の檜澤左五右衛門(湯本屋旅館・檜沢氏祖先)が、山神が現れる霊夢を見たことにより発見したという。その後左五右衛は湯元発見の功績と大畑新田開発の貢献により湯守頭を命じられ、温泉神社を祀った。
 同書には、
「旅館造りの檜沢佐久蔵氏宅(解体・日中温泉)」としてダム建設前の旅館(湯本屋旅館)と家屋の写真が掲載されている。
 付録の「民俗地図」では、5戸の人家のほか、温泉神社・山神社・湯神塔があったことが分かる。5戸のうち檜沢氏4戸、白岩氏1戸。檜沢氏のうち1戸は先述の佐久蔵氏(温泉旅館)(※)
 また当地には「日中湯の快猫」という伝承があり、これは死んだ息子に化けて現れた妖怪の猫を、父親が討ち取るというもの。

※ ただし過去の航空写真では、温泉宿と思われる1軒とやや離れた上流に1軒見られる程度(昭和27年・同43年・同51年とも状況はほぼ同じ)で、ほか3戸の詳細は不明

 温泉宿「ゆもとや」のウェブサイトによると、昭和50年日中ダムの建設に伴い一度閉業したが、ダム完成後の平成5年に再度開業。元の源泉は水没したが、現在は旅館敷地内より汲み出しているとのこと。
 源泉の発見に関して「金鉱を探していた祖先が…」とあり、現在も檜沢氏により経営されていることが窺える。

 県のウェブサイトおよび現地の説明板によると、日中ダムの大まかな沿革は以下のとおり。

 昭和47  ダムサイトの調査・設計開始
 昭和51  ダム建設事業に関する協定締結
 昭和52.3  仮排水路トンネル工事開始
 昭和54  起工式
 昭和56  定礎式。堤体の盛り立て開始
 平成元  ダム本体及びダム管理設所完成
 平成2  湛水開始
 平成3  完工式
 平成4.4  運用開始


 かつての集落はダム堰付近にあったため痕跡を確認することはできないが、先述の温泉旅館が堰堤のすぐ下で営業している(写真2)。大桧沢・小桧沢合流部付近の湖岸には「国営事業協力記念碑」があり、そばには水神社・風神社の祠(写真4)が祀られている。
 なお千石沢集落のそばにある大山祇神社(山神社)(写真6)は、水没地から遷座されたもの。参道入口の社標にある説明によると、新社殿は昭和53年6月に完成したとのこと。なお総代は先述の檜沢佐久蔵氏。

 


写真1 ダム堰堤

写真2 高みより温泉旅館を望む

写真3 日中大橋より集落跡(水没)を望む

写真4 湖岸の小祠

写真5 飯森山登山口

写真6 山神社社殿

 

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