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◆畑(はた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「左澤」(昭和21
.11)を使用したものである

所在:寒河江市白岩(しらいわ)
地形図:海味/左沢
形態:緩い傾斜地にに家屋が集まる
標高:畑前―約680m 本集落―約760m
訪問:2018年11月(HEYANEKO氏と共同)

 

 大字白岩の北部、実沢(さねざ)川(寒河江川支流)の右岸側にある。
 訪れていたかつての住民夫婦によると、手前の「畑前(はたまえ)」と本集落とに分かれ、分かるもので32軒。田畑の耕作や製炭により生活をしていたという。無住となったのは昭和63年頃であった。現在でも3組が通い耕作を続けているとのこと。
 畑前・本集落ともに複数の家屋が残り、本集落には「葉山市民荘」(写真6)や民宿(葉山荘)(写真13)がある。葉山市民荘はかつての学校の土地にあり、
敷地内には記念碑が建てられている。以下はその全文。


当地は標高約七八〇米畑八軒の名で知られた畑部落の存在した所である 部落の起りは明確ではないが山畑耕作に従事しながら葉山大円院と密接なつながりの中で生れた部落である 長年月の間幾多の変遷はあったが昭和十四年国策に沿って部落の三分の一の人が満洲に移民した 終戦と共に全員故山に引揚げ開拓組合が組織されて新らしい村づくりが進んだが時代の流れと過疎の荒波に堪え切れず昭和五十一年秋全戸が寒河江附近に集団移転した 畑分校は明治三十三年白岩尋常高等小学校畑分教場として設置され同三十八年三間に五間の校舎が落成した 終戦後新学制が敷かれると共に昭和二十二年白岩中学校畑分校を併設二十三年六間に三間四尺の二階建の新校舎が完成した 全盛時代には児童生徒四十五名までなったが時代の流れに伴ない部落の集団移転と共に昭和五十二年三月寒河江市立白岩小中学校畑分校は遂に閉校の余儀なきに至った。

 昭和五十二年十月二十日建立
 畑分校閉校記念碑建設有志一同/寒河江市/寒河江市教育委員会


 また民宿前には祠と石造物群が集められた一角(写真10-12)がある。以下はその中の「記念碑」の全文。


避遠の地畑部落は幾百年の昔より文明の恩恵に浴する事少なく その難に堪えるの久しき
事幾何か 年遷り時巡りて戦後開拓組合の入殖を見るや 時代の進運と共に愈々電気導入
の機運に恵まる 全村挙げてその実現を熱望し幸い多額の補助を仰ぎ 部落の総力を結集
万難を排して待望の業を完成す 茲にその喜びを永久に記念す
 昭和三十三年十二月十八日導入

 

≪畑前≫

写真1 家屋のある風景

写真2 同

写真3 同

写真4 池
≪本集落≫

写真5 道路と農免農道整備事業の標識。「葉山地区 寒河江市畑」とある

写真6 「葉山市民荘」と学校跡の碑

写真7 写真6敷地内の「長命水」

写真8 畑と家屋

写真9 集落風景

写真10 祠と石塔

写真11 記念碑

写真12 石塔群。右から十三夜供養・十六夜供養塔・湯殿山供養塔・観世音

写真13 民宿

写真14 櫓

写真15 家屋

写真16 集落風景

写真17 集落風景

 

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