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◆市野々(いちのの)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「手ノ子」(昭和22.5)を使用したものである

在:小国町市野々
地形図:小国東部/手ノ子
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約240m(水面は約250m)
訪問:2017年11
月・2018年11月

 

 大字市野々の中部、横(よこ)川(荒(あら)川支流)沿いにある。現在は横川ダムの人造湖(白い森おぐに湖)に水没。
 「角川」によると、大字市野々は中世の「いちのゝ在家」、近世の置賜郡市野々村。明治22年津川村(のち小国町)の大字となる。文政10年22戸123人、明治11年24戸146人。鎮守は熊野神社、寺院は曹洞宗の飛泉寺があった(水没前に既に廃寺)。
 また以下は資料『ふるさとへの想ひ 市野々・下叶水』より当地に関する記述。

伝承によると、当地が拓かれたのは保元年間(1156-1159)頃。平家の武者が諸国を奔走したのち当地を開拓したものという
飛泉寺の建立は応永34(1427)年、傑堂能勝(けつどうのうしょう)和尚(楠木正勝〔=楠木正成の孫〕といわれる)が創建と伝わる。宝暦4(1754)年3月および大正2年に火災により焼失。宝暦の火災の後は享和3(1803)年に再建されたが、大正の火災の後は資金のめどが立たず再建が断念されている
熊野神社は文中元(1372)年に紀州熊野の熊野神社から分社し建立したものという
近世に入り街道整備が進むと、当地には越後街道の宿駅が設けられる。以後明治に至るまで宿場町として栄え、のちに津川村の中心地となる
藩政時代末期の宿屋として、和泉屋・橋本屋・堀切屋・小泉屋・岩船屋・加洲屋・吉野屋・山形屋・水上屋(以上一般の旅人宿。和泉屋・小泉屋は牛馬宿兼務)、加賀屋・大黒屋・若松屋(以上背負子宿)、金沢屋・藤屋(以上牛馬宿)があった
明治以降は新道の開通、バスの運行、鉄道(米坂線)の開通があり、次第に旧来の街道は衰退。宿場関係の仕事の転換が図られた
近年の主な生業は、水田の耕作・養蚕・炭焼きなど。
川が低地にあるため水の便が悪く、農業用水は沢水に頼ったものであった。昭和32年に集落北部の原野(向原)で開田工事が行われ、収量が増加。昭和32年には揚水機も導入され、水不足となることも少なくなった
伊藤家は伊豆から、加藤家は加賀から、高井家は越後の高井村から移住したという
以下は近代以降の主な出来事

 明治5  郵便取扱所開設(同12年より郵便局となる)
 明治21  巡査駐在所設置
 明治22  津川村成立。村役場設置(借用の仮庁舎)
 明治34  村役場庁舎新築
 大正2  飛泉寺焼失(3月2日)。跡地に地蔵尊堂宇建築(5月)
 昭和17  電灯導入
 昭和32  向原にて開田工事開始
 昭和35  (津川村廃止。小国町に編入)
 昭和57  郵便局廃止

 昭和62

 横川多目的ダム実施計画調査開始
 平成2  横川ダム工事事務所開設
 平成3  横川ダム損失補償基準妥結・調印
 平成5

 離村式
 熊野神社、東原へ移転(同じく水没地域である下叶水(しもかのみず)の熊野神社と合祀)

 平成6  飛泉寺、東原へ移転

以下は当地にあった学校(叶水小学校市野々分校)の沿革

 明治11  叶水小学校市野々分校設置。加藤氏宅を借用
 明治18  飛泉寺の一部を借用し移転
 明治20  分校廃止。市野々教授所設置
 明治24  教授所廃止。市野々分校設置
 明治26  飛泉寺境内(イチョウ下)に校舎新築
 明治35  常設の分教場となる
 大正15  叶水尋常高等小学校市野々分教場となる
 昭和4  校舎新築移転

 昭和16

 叶水国民学校市野々分教場となる
 昭和22  叶水小学校市野々分校となる
 昭和43  役場庁舎に移転
 昭和54  閉校


 集落跡付近の湖畔には「市野々イチョウ広場」があり、飛泉寺の前庭より移設されたイチョウの木や、当地にあった子易地蔵尊を記念した碑が置かれている(写真2・3)。このイチョウは町指定の天然記念物で、昭和57年に指定。湖面に近い場所に作られたモニュメントは、
かつてイチョウの木があった場所であったよう(写真1)。訪問時は完全に水没していたが、付近の看板(写真4)によると夏季は水位が下がり左岸側まで通行が可能であるよう。
 
当地にはかつて学校(叶水(かのみず)小学校市野々分校)があり、町史によると明治11年2月20日叶水小学校の分校として飛泉寺に開設されたとのこと(※)
 なお上の地図画像にある役場の記号は、当時の津川村のもの。

 2018年再訪。高みにある石造物群(写真6・7)と県道沿いの「古里の碑」(写真8)を新たに確認。碑には往時の絵地図が描かれており、30戸の屋号と名字が記されている(うち木ノ谷2戸)。以下はその内訳(屋号のうち「資料」の欄は、『ふるさとへの想ひ』に記載されているもの。「―」は家の記載なし)。

  屋号 地区
資料
1 高橋 きのたに 同左 木ノ谷
2 とうざいむ
3 加藤 むかいばら 同左 向原
4 さかした
5 高橋 おいしゃ いしゃ 野向
6 のむかい
7 加藤 いなば 同左
8 ひのき
9 渡部 まんにむ 同左  
10 加藤 ばんじょ  
11 とうべい とうべ  
12 よそべい たがどう  
13 たしち 同左  
14 伊藤 よへい 同左  
15 高井 ぶんの  
16 加藤 なかみち  
17 でんぱち 同左  
18 高橋 でんきち 同左  
19 加藤 よへむ よえむ  
20 伊藤 かんべい  
21 せんやく  
22 はちろうえむ はちろえむ  
23 加藤 ろくえむ  
24 くへい 同左  
25 だいきち  
26 はちすけ 同左  
27 つくりみち  
28 小椋 おぐら いちょうのした  
29 高井 たかい 同左  
30 高橋 にし 同左  

ほか公民館・熊野神社・飛泉寺・分校・郵便局が見られる。

※ 昭和54年休校・同56年閉校(HEYANEKO氏調べ)

 


写真1 集落方面を望む。モニュメントはイチョウ(写真2)の元の位置(以下2017年撮影)

写真2 イチョウの木

写真3 「大銀杏と飛泉寺」の碑(左)と子易地蔵を記念した碑(右)

写真4 看板

写真5 「木ノ谷」付近(木の谷(きのたに)橋より)

写真6 石造物群(以下2018年撮影)

写真7 石造物群。石塔は右から湯殿山・金剛山・太神宮とある

写真8 碑

写真9 高みより集落方面を望む

写真10 イチョウの木

写真11 木ノ谷橋

 

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