戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆鶴部(つるべ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「左澤」(昭和21.11)を使用したものである

在:西川町間沢(まさわ)
地形図:海味/左沢
アクセント:ルベ
形態:緩い傾斜地に家屋が集まる
離村の背景:多くが火災
標高:約450m
訪問:2017年11

 

 大字間沢の南西部、宝沢川右岸側の山中にある。
 訪れていた元住民の方々の話では、もと12軒。昭和47年に大火があり、11軒に類焼。多くの世帯が離村するきっかけにもなった(※)。昭和53、4年頃に最後の1軒が転出し無住となったとのこと。自給用の水田を耕作しながら、商品作物の葉タバコ・蒟蒻などを栽培。冬は炭焼きや出稼ぎなどを行っていたという。現在は1組が通い耕作を行い、昨年まではもう1組が通っていた。その他数組が所用で度々訪れている。
 現地には管理された建物が数棟と水田が少々。集落の入口には社と墓地がある(写真2・3)。またかつて西川小学校鶴部分校が所在し、その跡地には「鶴部分校址」の碑が建てられている(平成11年7月、鶴部・大平一同による設置)(写真13)。以下は碑より学校の沿革(本文をそのまま引用)。

 大正7.4  小倉分校の鶴部冬季分校設置 平屋造 二十坪
 昭和10.3  西山小学校間澤川分教場の冬季分校となる
 昭和12.9  二階建増築 建坪二十一坪
 昭和20.3  三学年迄の常設分校となる
 昭和24.3  西山小学校の分校となる
 昭和33.8  校舎増築
 昭和53.3  休校

 また「分校入学数延二百十八名 戸数三十一戸」とある。なおHEYANEKO氏の調査では、休校を経て平成元年に閉校したとのこと。
 聞き取りでは碑のある平坦地に校舎があり、その下の段が校庭であったという。それぞれの平地の間の斜面には滑り台(写真14)があり、当時は県内一(もしくは東北地方一か)の長さであった。
 なお当地から大平の間に「ヨシヤチ」と「コワスズ」と呼ばれる小地区があったとのこと(表記は不明)。地理的条件から鑑み、大平のページにおいて訪問記録を掲載する。

※ ただし町史では21戸中10戸を焼失、残りの11軒ともども間沢に移動したとある

 


写真1 集落風景

写真2 社

写真3 墓地

写真4 水田

写真5 家屋

写真6 屋敷跡

写真7 屋敷跡

写真8 屋敷跡?

写真9 何かの小屋

写真10 屋敷跡

写真11 屋敷跡

写真12 屋敷跡

写真13 学校跡と碑

写真14 滑り台から下方を望む(写真下が滑り出し部分)

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ