◆蟻坂(ありさか)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「湯澤」(昭和22.2)を使用したものである
所在:羽後町飯沢(いいざわ)
地形図:上笹子/湯沢 湯沢/湯沢
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約220m
訪問:2018年5月
大字飯沢の中部東寄り、西馬音内(にしもない)川(雄物(おもの)川支流)の支流沿いにある。
資料『秋田・消えた村の記憶』によると、戦後最盛時7戸で、いずれも鈴木家。昭和45年頃より離村が始まり、昭和60年に最後の1戸が離村し無住となったとのこと。転出世帯のうち3戸が町内柏原(かしわばら)に移転している。
現在集落跡に残る建物は皆無。集落の西側には「蟻坂在住没者供養塔」(写真4)が建ち、集落の歴史を記すと共に祖先の努力を讃えている。以下は「蟻坂閉村之碑」の碑文。
もともと蟻坂は砥館、水呑、栩ケ台と共に、畑と称し二十一戸で集落を成していた。昭和三十年旧七ケ町村合併以来、蟻坂も単独で七戸の集落を成し、年代後半には電気や電話が引かれ、暖房に灯油が焚かれ車社会となっていった。しかし、昭和四十八年砥館、水呑、栩ケ台の人は町当局の集落移転の推進により、他の地域に移っていった。蟻坂は、それぞれの事情から五十年代に入って移転が始まり、昭和の終わりと時を同じくして村の歴史を閉じた。
ここ蟻坂は開村から四百二十有余年、この地に生き、この地を守りそしてこの地に眠る多くの先祖のたゆまぬ努力と、他の地域に移転していった人々の営みは、ここに刻み込まれている。村は消えたが我々を育んだ蟻坂に敬意と感謝を込め、これを建立する。
平成十七年六月十月十二日 閉村から十八年を迎えた春に
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