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◆合地前田(かっちまえだ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大館」(昭和30.3)を使用したものである

在:大館市比内前田(ひないまえだ)
地形図:扇田/大館
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:移転事業
標高:約90m

訪問:2016年5

 

 大字比内前田の中部、比内前田集落の南西およそ1.5qの谷あいにある
 資料『秋田・消えた村の記録』によると、戦後の最盛期は9戸(芳賀7・加賀谷・成田各1の各家)。昭和51年に当時の7戸が集落再編成事業により転出したとのこと。
 現在は集落跡に小屋が建てられているのみで、他には僅かに屋敷跡の痕跡が確認できる。最近の地図では墓地の記号が記されているが、はっきりとした墓石は確認できず。はなお比内前田‐合地前田間には鳥居のある一角があるが、当地との関連は不明。また比内前田の本集落には「合地前田道路」の碑(平成3年4月、芳賀氏による設置。写真8)が建ち、当集落の説明も添えられている。以下はその碑文。

由来碑

今から三百余年前から合地前田と云ふ集落がこの道二キロ先の処に六戸ありました。国有林、金山、農業を主として豊かな生活を保持して居りまたその後、終戰の時代の変化と過疎化の波に出逢之(※)、昭和五十一年県の対策條例に基きやむなく村を離れることに成りました。思之思之(※)の住良い処に移住したのです。墓も移転して居りますが取り残された霊がある様な気がしてなりません。私達、この幸せな時代で生活をして居るのも尊い先祖があったからと思之(※)、人生一代、子孫繁栄の為、一生を捧げてくれた人達を思ふ時胸のいたむ思之(※)で一杯です。せめて後の世までも語りつがれることを念じ此の碑に託したいと思之(※)、自心を刻す。

※ 本文ママ。特定の用法で「い」と訓むものか

 


写真1 谷沿いの水田

写真2 道と小屋

写真3 屋敷跡

写真4 屋敷跡?

写真5 何かの跡

(写真6 比内前田‐合地前田間の鳥居)

(写真7 写真6奥の石塔。「太平山」と見える)

(写真8 「合地前田道路」の碑)

 

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