◆折渡(おりわたり)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「米内澤」(昭和29.3)を使用したものである
所在:上小阿仁村仏社(ぶっしゃ)字国見沢
地形図:沖田面/米内沢
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:移転事業
標高:約180m
訪問:2016年5月
大字仏社の南部、国見沢(小阿仁川の二次支流)沿いにある。
資料『折渡の記録』および『秋田・消えた村の記録』によると、昭和5年6戸46人(河村3・田村3の各家)。昭和40年代に2戸が転出し、集落再編成事業により昭和49年に残る4戸が転出したとのこと。昭和35年61人(最盛期)、昭和49年23人。笊と木炭の製造が主な収入源。特に笊は民間のほか阿仁鉱山や小坂鉱山にまで評判が広がり、大きな売り上げがあったという。水田は自給に足りないほどの面積しかなかった。当地にあった小沢田(こさわだ)小学校折渡分校は、大正4年5月9日に特別教育所として設立。昭和10年3月には分教場として認可。昭和49年閉校。
現地では新旧の「折渡部落跡」の標柱(旧:昭和58年村教育委員会、新:平成元年村による設置)(写真1・2)が見られた。建物類は皆無で、数箇所それらしい場所が見られたのみ。神社跡もよく分からず。学校跡には集落跡と同様の新旧の標柱が立てられている(写真7)。
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