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◆荒下(あらした)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「中濱」(昭和22.1)を使用したものである

所在:八峰町八森(はちもり)
地形図:中浜/中浜
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約40m

訪問:2016年5月

 

 大字八森の南部、真瀬(ませ)川沿いにある。
 資料「八森」によると、居住者の詳細は以下のとおり。

(集落内)
  屋号 地区 移入時期 転出時期 出身
1 松橋 いけじゃ 杉の沢 明治43 昭和12 五城目
2 太田   昭和6
3 工藤 じぇんじ 池の台 大正期 昭和10
4 松橋 万次郎 長根 明治3、40年代 昭和12、3
5 加藤 いわが 池の台 明治39 昭和12 上岩川
6 加藤 トリエ 三十釜 大正6〜8 大正末期 八郎潟
7 日沼(※1) チヨ/イサ/マルエ 明治3、40年代 昭和23
8 工藤 とんちゃ 明治3、40年代 昭和16、7 五城目
9 椎名 えもえ 明治30年代 昭和40
10 伊藤 さわっこ 昭和29年 阿仁
11 松橋   昭和初期 昭和12  
12 沢田石(のち工藤) 沢田石 明治3、40年代 昭和10年前後 五城目
13 藤原   明治3、40年代 昭和8、9年
14 藤原      
15 鎌田   三十釜 明治3、40年代 昭和初期 上岩川
16 猿田 猿田 明治3、40年代 昭和20年代
(昭和15、6年に発電所跡の長屋へ移住)
五城目?
17 田村(のち佐々木) 田村 大持 昭和18、9年 森岳
18 後藤   三十釜 昭和38
19 伊川   昭和16〜18 昭和19〜20
20 工藤(のち別の工藤) 文吉 昭和16、7 昭和28 五城目
21 菊地   昭和28 昭和30〜31  

※1 本文第5表-2では「沢田石」が該当しているが、他の表や巻末の年表から鑑み誤植であることが分かる
※2 ほか児玉・伊川・塚本・河中の各家が明治45年頃に居住していたが、動向は未調査となっている

(発電所)
 荒下には発森鉱業所(八盛鉱業所の後身)の水力発電所(明治40年代初期より稼働)があり、関係者とその家族が居住していた。所長は一軒家、他の従業員は長屋。発電所は昭和7年業務を停止し、同9年閉鎖。

 

地区 人数 転出時期 備考
1 奈良 荒下   昭和7頃 所長。昭和5年死去
2 奈良   不明 水守係
3 谷田部 5 昭和7頃 機械係
4 三浦 7
5 折本 4 水守係
6 後藤 5 昭和38 水守係。前表のNo.18の家の人物。発電所廃止後も居住を継続
7 斉藤 5 昭和7頃 水守係
8 石山 赤岩 2
9 田村 9 (退去後は荒下大持に戻り昭和18、9年まで居住) 水守係。前表のNo.17の家の人物で、廃止後は大持の自宅へ

※3 発電所廃止後に前表No.16の猿田家が移住し、昭和20年代まで居住している

 なお主な生業は炭焼きや水田の耕作であったよう。

 現在は、家屋が比較的多く集まっていた付近に白神山地案内所や森林科学館「ぶなっこランド」・体験交流センター「白神ふれあい館」といった施設が集まり、白神山地の玄関口としての役割も担っている。この少し手前には往時の家屋(日沼家母屋。のち椎名氏の作業小屋に転用)が唯一残るが、老朽化が激しい(写真3)。下流側では現在も広く水田の耕作が行われ、また右岸にも農地が広がっている。

 


写真1 白神ふれあい館(以下左岸)

写真2 真瀬神社

写真3 廃屋

写真4 水田

写真5 地内風景(以下右岸)

写真6 畑

写真7 小屋

 

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