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◆太良(だいら)鉱山



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「太良鑛山」(昭和22.1)を使用したものである

在:藤里町太良鉱山
地形図:真名子/田代岳
形態:山中に家屋や施設が集まる
標高:約220m

訪問:2016年5

 

 大字太良鉱山の南東部、藤琴川左岸山中にある主に鉛や亜鉛を産出した。
 
町史によると、文永年間(1264-74)の開発とされ、昭和33年閉山。大正8年から昭和10年までの休山期間がある。人口は、享保2(1717)年29戸234人、明和7(1770)年750人、享和3(1803)年403人、文化3(1806)年380人、文政7(1824)年450人〔以上鉱夫雑譚より〕、天保14(1843)年125戸758人〔巡検使による〕、昭和25年156人。寺院に曹洞宗の宝源庵、神社には旧村社の山神社と、愛宕神社があった。以下は当地にあった藤琴小学校太良分校の沿革。

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 創立
 明治14.5  藤琴小学校太良巡回授業所となる
 明治22.3  藤琴尋常高等小学校の分教室となる
 明治25.4.23  独立。太良尋常小学校となる
 大正9.3.31  藤琴尋常小学校(※)太良分教場となる
 大正12.11.30  廃止
 昭和14.4.1  分教場再度設置
 昭和22.4  藤琴小学校太良分校となる

 昭和34.4.1

 金沢小学校の分校となる
 昭和36.3.31  廃校

※ 「尋常小学校」は当方による修正。本文では藤琴小学校とあるが、この時期は学制改革以前(国民学校令以前でもある)

 訪問時は、中心集落の跡と上の地図画像で「新鑿坑」とある付近を探索。中心集落跡では何かの小屋が2棟といくらかのまとまった遺構・施設の煙突・石塔・神社を確認。石塔のひとつには「天保三壬辰歳」などとある。「新鑿坑」表記付近には大規模な遺構が残り、採鉱の中心地であったことが窺える。

 


写真1 開けた土地(以下中心集落)

写真2 遺構

写真3 遺構

写真4 住宅地跡?

写真5 遺構

写真6 煙突

写真7 樹木と石塔群

写真8 神社・鳥居と参道

写真9 神社・灯籠と社殿

写真10 神社・境内の石塔群

写真11 何かの遺構(以下移動中)

写真12 支柱

写真13 ズリ?(以下「新鑿坑」表記付近)

写真14 遺構

写真15 遺構

写真16 何かの建物跡

写真17 遺構

 

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