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◆中浜(なかはま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「角田」(昭和21.11)を使用したものである

所在:山元町坂元(さかもと)字中浜・字久根(くね)ほか
地形図:新地/角田
形態:海沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:数m
訪問:2023年5

 

 大字坂元の東部、仙台湾に面した海沿いにある。
 平成23(2011)年3月の東日本大震災により被災。
 集落跡は広く農地に転用。震災遺構として旧中浜小学校の校舎が残されている。また中浜墓地跡には千年塔と東日本大震災慰霊碑がある(写真5)。慰霊碑によると、津波の高さは10mを超えるもので、中浜地区では137名の命が奪われたという。

 町誌や資料『山元町ふるさと地名考』によると、中浜区は昭和60年288戸1,221人、平成2年292戸1,190人、同7年303戸1,172人、同12年317戸1,150人、同16年314戸1,115人。近海漁業を営んでいたが遠洋漁業へと変わり、のち農業集落へと変わっていった。漁撈の最盛期は大正から昭和にかけてといわれる。
 当地にあった高福寺は、曹洞宗の寺院で寛政年間(1789-1901)、坂元の徳本寺住職朴翁泰尚による開山。明治に入り徳本寺に併合され廃寺となった。跡地は中浜小学校が置かれ、のち中浜駐在所や共同作業所を経て中浜生活センターとなった。
 以下は記載されている範囲での中浜小学校の沿革。

 明治9.2  坂元小学校中浜支校開設。高福寺を改修し校舎とする
 明治10  中浜小学校となる
 明治21  閉校
 明治33  坂元尋常小学校中浜分教場開設
 明治34  中浜尋常小学校となる
 大正10  坂元尋常小学校中浜分教場となる
 大正13  現在地(字久根)に移転
 昭和39  独立。中浜小学校となる
 平成24  東日本大震災により被災。坂元小学校に併設(※以下「震災遺構中浜小学校」ウェブサイトより)
 平成25  閉校
 令和2.9  震災遺構として一般公開開始


 なお中浜小学校のパンフレットや校内の説明板によると、屋上に避難した児童・教職員・保護者ら90人の命が守られたという。県南部に残る唯一の被災建造物。平成元年の改築の際には、地域住民の意向を受け敷地全体が2m嵩上げされた。過去の津波や高潮を考慮した対策であり、東日本大震災の津波では屋上まであと僅かの浸水であった。

 


写真1 集落跡を望む(字北谷地・習川・後谷地)

写真2 屋敷跡(字花立)

写真3 屋敷跡(字中須賀)

写真4 集落跡(字中浜)

写真5 千年塔と慰霊碑

写真6 校舎。右上の青い看板は津波浸水高

写真7 校内の大震災記念碑(昭和8年)。「地震があつたら津波に用心」とある

写真8 校舎屋上より集落跡と海を望む

写真9 往時の中浜地区のジオラマ。左手前が学校

写真10 2011年3月11日夜、校舎の写真

 

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