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◆松ヶ房(まつがぼう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「相馬中村」(昭和28.3)を使用したものである

所在:丸森町筆甫(ひっぽ)字下南山・同字川平/相馬市山上(やまかみ)字松ヶ房
地形図:青葉/相馬中村
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約380〜410m?(水面は約400m)
訪問:2023年5月

 

 大字筆甫の南部および山上の北西部、宇多(うだ)川沿いにある。現在は松ヶ房ダムの湛水に伴い多くが水没。
 下流側の宅地は完全に水没しているが、上流側では湖岸に集落の痕跡が見られる部分がある。

 丸森町史によると、松ヶ房ダムは福島県が灌漑利用のため昭和40年代後半から構想したダムで、宮城県当局には内々で協力を求めていたが、昭和50年2月に丸森町に初めて構想を明らかにした。同年6月には事業計画の説明と協力を丸森町に要請。昭和51年と53年には、両県と関係住民および地権者との話し合いが開かれた。昭和54年7月31日、福島県は丸森町に対し、正式にダム建設の協力を要請。このときの計画では、水没戸数は11戸(丸森町10戸、相馬市1戸)であった。11月6日に計画が住民に説明されると、住民は直ちに松ヶ房ダム対策協議会を結成。双方の話し合いの場が整うこととなる。昭和55年「移転者対策などの必要な調査と協議に関する基本協定」「ダム用地等補償物件の立入調査に関する覚書」が取り交わされ、移転者対策や周辺整備について協議が続いた。同年8月27日には合意文書の調印式が行われ、ダム建設の運びとなった。
 なお町史は昭和59年の刊行のため竣工の記述はないが、完成予定は昭和61年度とある。諸情報では竣工は平成9年。

 


写真1 ダム堰堤

写真2 水没地を望む

写真3 非水没地

写真4 往時の道路

写真5 遺構

写真6 陶片など

写真7 遺構

写真8 遺構

写真9 遺構

写真10 遺構

 

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