◆玉山(たまやま)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「栗駒山」(昭和21.11)を使用したものである
所在:栗原市栗駒沼倉(ぬまくら)
地形図:沼倉/栗駒山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:多くがダム建設
標高:約180m(水面は約190m)
訪問:2018年11月
大字沼倉(飛び地を除く)の西部、三迫(さんはさま)川沿いにある。現在は栗駒ダムの湛水に伴い多くが水没。
町誌によると、栗駒ダムは昭和25年着工、同36年竣工。地域では29戸(205人)のうち25戸が水没移転し、4戸が残留した。なお新規の開拓者4戸と発電所職員4戸が加わり、刊行時(昭和38年)で12戸となっている(※1)。移転者の内訳は以下のとおり(掲載順)。
|
姓 |
移転前の居住地(字) |
移転先 |
1 |
渡辺 |
米粉立 |
北海道赤平市 |
2 |
小田 |
小屋倉 |
岩手県一関市 |
3 |
千葉 |
薄木 |
〃 |
4 |
小田 |
玉山 |
米山村【のち米山町、現・登米市】 |
5 |
芳賀 |
坂下 |
〃 |
6 |
千葉 |
大山 |
志波姫村【のち志波姫町、現・栗原市】 |
7 |
小田 |
〃 |
〃 |
8 |
佐々木 |
米粉立 |
〃 |
9 |
千葉 |
〃 |
〃 |
10 |
小田 |
玉山 |
若柳町【現・栗原市】 |
11 |
菅原 |
田中 |
〃 |
12 |
〃 |
〃 |
〃 |
13 |
千葉 |
薄木 |
〃 |
14 |
小田 |
田中 |
金成町【現・栗原市】 |
15 |
千葉 |
薄木 |
〃 |
16 |
〃 |
〃 |
〃 |
17 |
菅原 |
小屋倉 |
一迫町【現・栗原市】 |
18 |
千葉 |
坂下 |
鴬沢町【現・栗原市】 |
19 |
〃 |
玉山 |
町内鳥矢崎(とやさき) |
20 |
大沼 |
栗駒 |
〃 |
21 |
菅原 |
菅 |
町内岩ヶ崎(いわがさき) |
22 |
〃 |
〃 |
町内尾松(おまつ) |
23 |
鈴木 |
(記載なし) |
〃 |
24 |
千葉 |
栗駒 |
〃 |
25 |
渡辺 |
米粉立 |
町内姫松(ひめまつ) |
なお当地には栗駒小学校玉山分校があったが、これは沼倉小学校の分教場として明治末年に開校。当初は玉山地区の中心にあったが、ダム建設に伴い南西約1qの地点に移転した(※2)。
現地では南岸の道路沿いを中心に見て回り、県道から南側の脇道を入ったところに資材置場(写真4)が見られ、県道からダム堰堤に至る道路のそばに墓地(写真6)が見られた。墓地には菅原・芳賀の各氏の名が見られ、先の表にある世帯の姓と合致する。
なおHEYANEKO氏によると、先の資材置場は除雪基地で、玉山分校の跡地であるとのこと。
以下はダム管理事務所前にある碑より、表の「栗駒ダムの頌」および裏の「建設譜」の碑文。なお前者は詩人の白鳥省吾氏による撰文。
栗駒ダムの頌
ふるさとの栗駒山は
たぐひなく秀でし寶
仰ぐよし登るまた良し
清らなる谷川も佳し
美はしの三筋の迫
深山出で里戀ひ流れ
はるばると人の心の
潤ひと希望を歌ふ
いま此處にダムを造りて
天地の怒りを和め
日々の惠みを讃へ
眞澄なす湖生めり
思ひ出のいみしき岸に
われら見つ安らけき世の
偉いなる新しき幸
手をつなぐ里人の夢
建設譜
三迫川は、源を栗駒山に発して北上川に注ぎ、その流域は県北の穀倉地帯と称されているが、昭和二十二年の台風以来、相次ぐ洪水の発生に、沿岸耕地の被害は増大の一途をたどり 灌漑期の用排水また年をおって悪化し、加うるに鉱山地帯からの鉱毒水の流出もあり米作の減少は甚だしきに至った。
ここに県は、洪水防止を主目的とし、あわせて灌漑用水の供給および鉱毒防止等をも考慮して三迫川の根本的治水計画を樹立し、その基本として 農林省の認証を得て本ダムの建設に着手した。
本工事は 昭和二十四年調査、翌年起工 以来十有三年の歳月と十六億一千余万円の巨費を投入し幾多の困難を経て、同三十七年三月完成を見たのである。
昭和三十七年四月 宮城県
※1 ダム湖上流側の放森地区を含めた数字である可能性もある
※2 昭和41年閉校(HEYANEKO氏調べ)
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