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◆山王海(さんのうかい)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「日詰」(昭和22.6)を使用したものである

在:紫波町土館(つちだて)
地形図:志和/日詰
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:砂子沢―約270m 小岩ノ目―約290m 大岩ノ目―約300m 山王海―約310m(水面は約300m)

訪問:2017年5

 

 町の西部。滝名川(北上(きたかみ)川支流)沿いにある。山王海ダムの湛水に伴い、下流の大部分が水没。
 ダムサイトには「山王海部落 ダム建設で移転前の地図」があり、以下のような説明が添えられている。

山王海部落は、推察七百年の歴史があり山王海太郎が城を築いた舘沢周辺が集落の始まりである。
その子孫が鷹觜家・高橋家・中里家・牧野家であり、のちに和賀より中川家が移住した。
小田中沢より小田中家が小岩ノ目に移住し
砂子沢地区には、中山家・高岡家・藤森家・井伊家が移住した。
いづれも源氏・平家・新田義貞の落人と語り伝えられている。
その後、分家が増えて部落戸数が三十六戸となり三百数十名が生活を営んでいた。
上地区と下地区に山祇神社を祀り中間には上平沢小学校の分校があり、素朴ながらも幸楽な暮しであった。
昭和二十年山王海ダム建設に伴い湖底に没する下地区二十一戸が指定移住地南山王ほかに移転した。その後上地区十五戸はそれぞれ任意移転をし、昭和四十一年を最後に山王海部落は消滅した。
移転先戸別数は、紫波町二十四戸・矢巾町四戸・石鳥谷町四戸盛岡市三戸・滝沢村一戸である。
昭和五十四年ダム嵩上げ工事着工に伴い、再度用地提供し平成十三年ダム完成を契機に石碑(※1) を建立する。
今、ここに改めて先祖の遺徳を偲び山王海部落の歴史がこの地に存在した証の伝称(表記ママ)のため、移転前の三十七戸の屋号と土地の状態を
記した地図を作成した。

平成二十年十一月十日

※1 管理事務所の敷地内に、これとほぼ同じ文章を刻んだ碑が建てられている(他サイトの情報より確認)

 それぞれの地区の屋号や施設等は以下のとおり(当方が大まかに分けているため、区分は正確ではない場合がある)。

・砂子沢…源十郎・森子・道ノ上・道ノ下・的場・藤十・備後沢・長八・向畑・源七・樋ノ口・甚仁門・加門堂・大上・大門沢。山祇神社があった
・小岩ノ目(こいわのめ)…細川・中反・与五郎・喜助・久五郎・栃平ノ上・栃平ノ下。氏神の社があり、砂子沢地区との間には墓地があった
・大岩ノ目(おおいわのめ)…大岩ノ目前・大岩ノ目後。水没前の学校(上平沢小学校山王海分校)があった
・山王海…源内・助作・新田・梨木・中里竈・中里・田中・清水・善作・南・中上・惣助・上ノ田。水没後の学校・墓地・山祇神社・稲荷社があった


 資料『山王海物語』によると、明治初年38戸、終戦頃36戸。主な生業は製炭や伐採・伐り出し。木材や薪炭の運搬、農耕には馬を用い、1戸当たり2、3頭は飼っていたという。馬子平と大岩ノ目沢には放牧地があった。田は畑よりも少なく、稗田も相当あった。畑では麦・大豆・小豆・そばなどを栽培。38戸中鷹觜14戸、小田中6戸、中里4戸、中山4戸、牧野3戸、中川2戸、藤森・高岡・井伊・高橋・三ツ石が各1戸。砂子沢と山王海にあった山祇神社は、いずれも町内片寄(かたよせ)の畑地内に移転。
 学校の沿革は以下のとおり。

 明治17.12.5  砂子沢に土舘簡易小学校設置
 明治18.10.15  上平沢小学校山王海分校開校
 明治23  閉鎖。児童は本校に通学
 明治25  大岩ノ目の鷹觜重蔵氏宅を間借りし上平沢尋常高等小学校山王海分教場開設
 明治32  移転(小田中寅松氏宅)
 明治34.4.1  移転(砂子沢の藤森伝次郎氏宅)
 明治34.9.9  移転(山王海の中里久吉氏宅)
 明治36.6.14  小岩ノ目に校舎新築移転

 昭和30

 大岩ノ目の鷹觜氏宅を分校仮教場として移転(※2)
 昭和41  閉校(※3)

※2 昭和27年に山王海ダムが完成しており、水没した大岩ノ目に移転していることは時期的に矛盾している。絵地図より、湛水に伴う移転直前の所在は大岩ノ目付近だが、移転後は山王海地区の山祇神社のそばであることが分かる
※3 本文では昭和39年度とあるが、上平沢小学校のウェブサイトやHEYANEKO氏の調査により誤りであることが分かる

 現在は砂子沢・小岩ノ目・大岩ノ目が水没、山王海が水没を免れている。水没部分で往時の痕跡は確認できないが、水没を免れた部分では神社跡や馬頭観音をはじめとした多くの石塔が残されている。

 


写真1 ダム堰堤

写真2 地図看板

写真3 砂子沢方面を望む

写真4 小岩ノ目付近(山王海大橋より)

写真5 大岩ノ目付近(藤倉(ふじくら) 橋より)

写真6 「平成の森」(以下山王海)

写真7 神社。跡地の標柱

写真8 神社。社殿跡

写真9 参道脇の石塔

写真10 倒潰建物

写真11 何かの土台

写真12 馬頭観世音

写真13 石造物群。馬頭観音・題目碑・水路開鑿記念碑のほか、「大施餓鬼供…」「先祖代々…」と見えるものがある

写真14 馬頭観世音

写真15 石塔群

写真16 屋敷跡

写真17 道と水田跡

 

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