◆島(しま)
所在:遠野市宮守町下鱒沢(みやもりちょうしもますざわ)
大字下鱒沢の中部南西寄り、猿ヶ石(さるがいし)川の左岸側にある。
延歴(本文ママ)二十一年(八百二年・平安時代初期)、蝦夷【えみし】の酋長の一人であった「去返公嶋子【さるがえしのきみしまこ】」は、坂上田村麻呂(大和朝廷の征夷大将軍)が敢行した「奥州の蝦夷征伐」の難を逃れてこの地へ移り住んだと言われています。
| ||
![]() 写真1 コテージ群 |
![]() 写真2 屋敷跡付近。スギは往時からのものか |
|
![]() 写真3 溜め池(往時からのもの?) |
![]() 写真4 駐車場より南西を望む(左は事務所。奥は写真2方面。かつては手前から奥に向かって農地が広がっていた) |
|
![]() 写真5 案内図。「島地区」とあり、地名が残されている |
![]() 写真6 山神宮 |
|
![]() 写真7 県道503号の須麻古トンネル |
![]() 写真8 炭焼き小屋 |
|
![]() 写真9 古井戸。看板には「注意 古井戸あり ちかよ…(判読できず)…さい」とある |
|