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◆法の脇(のりのわき)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「宮古」(昭和20)を使用したものである

所在:宮古市津軽石(つがるいし)
地形図:宮古/宮古
異表記:法之脇(地形図)
形態:河口付近に家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:数m
訪問:2023年5月

 

 大字津軽石の北部、津軽石川河口付近の左岸にある
 平成23(2011)年3月の東日本大震災により被災。
 資料『東日本大震災 宮古市の記録』によると、震災直前の平成23年3月時点で29戸(31世帯)83人。東日本大震災では家屋は3戸を残しすべて流失したとのこと。災害危険区域に指定されたことにより、住宅を建築することができなくなり集落は解散を余儀なくされた。11戸(13世帯)が津軽石団地に集団移転している。

 市史によると、地区の伝統芸能として「法の脇の鹿子踊り」が8月16日の津軽石の稲荷神社の祭礼の際に演じられていたという。これは「佐四郎」という人物が慶応年間に茂市(もいち)から婿に来て、茂市の鹿子踊りを法の脇の人々に教えたのが始まりであるという。昭和45、6年頃までは地域の長老が中心となり伝承してきたが、以降は青年会が中心となって活動。踊りには全戸(平成6年刊行当時31世帯)が参加していたが、これは地区の人数が少なく総出で行わないと成り立っていかないためであった。
 なお鹿子踊りは移転先で引き継がれており、先の『〜宮古市の記録』には復活に向けた経緯が詳細に記されている。

 現地は多くが更地となっているが、高台にある神社は無事であったようで現在も管理されている(写真3)。これは『〜宮古市の記録』によると熊野神社で、平成10年改修(※)。氏神ではないが、少なくとも江戸時代末期から祀られているとのこと。
 また小さな谷沿いには墓地も残されており、こちらも同様に管理が行われている。

※ 市史の「神社・小祠小堂一覧」には記載がないが、このことにも言及されている(記載は「法之脇御前堂」のみ)

 


写真1 集落跡の一部を望む(線路より奥)

写真2 石造物

写真3 神社

 

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