◆上指久保(かみさしくぼ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「田子」(昭和22.2)を使用したものである
所在:十和田市滝沢(たきさわ)
地形図:奥瀬/十和田 形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約280m
訪問:2017年5月
大字滝沢の西部、後藤川(奥入瀬(おいらせ)川支流)沿いにある。
市史によると、後藤川は森林の濫伐により時おり氾濫し、流域に甚大な損害が生じていたという。昭和21年1月の洪水の様子が当時の上指久保居住者(漆館氏)により語られている。これによると、川沿いの道路が決潰したため交通は杜絶、田畑は土石に埋没し、復旧に努めるも翌年の耕作に間に合わず営林署に願って土地を借り、粟・稗・そばなどを作付けし飢えを凌いだという。山津波で流出した家では、4名の命が失われている。昭和23年頃、下流も含めた農作物や公共施設の被害を防ぐべく、昭和25年県営事業として四和(しわ)ダムの工事が開始。同35年1月完成。
かつての宅地の水没は一部であると思われるが、笹藪等で荒廃が進みそれらしい平坦地は未確認。最近の地図にも神社の記号が記されているが、ここには水害記念碑が建つ。碑には「山津美大神」「四十年記念 明治廿三年新八月六日 旧七月十■日奉」「昭和十四年六月十二日 漆舘■太郎」とある。碑文は「昭和十年八月廿二■近年■■■大水害ニシテ■(増?)水■(量?)■■■(有?)■(餘?)田畑其他流失ス ■■■■(甚?)■(大?)ノ損害ヲ蒙レリ 昭和十一年■月十六日 漆舘仁太郎」(■は判読できず)。なお神社(山王神社)の跡地はもう少し北側の尾根上にある(写真5)。
離村時期は不明だが、ダム建設の直前の昭和23、4年頃か。
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