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◆上北(かみきた)鉱山



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「青森東部」(昭和22.6)を使用したものである

所在:七戸町(大字なし)
地形図:田代平/青森東部
形態:川沿いから斜面にかけて家屋や施設が集まる
標高:約350〜400m
訪問:2016年5月

 

 村の西部、大坪川支流の立石沢沿いにある。
 日本鉱山株式会社(当時)上北鉱業所の鉱山集落。銅を主に産出。かつては国内最大の銅の産出量を記録し「神風鉱山」の異名でも知られた。現在は休山し、僅かな従業員が鉱毒処理を行っている。
 村史に引用される日本鉱業株式会社編集の『五十年史』によると、主な沿革以下のとおり。

 大正初年  2、3の業者が探鉱を開始
 昭和10  三井氏の所有となり、後の本坑硫化鉱床を発見
 昭和11.10  三井氏の委任により、日本鉱業株式会社の経営開始
 昭和15.5  三井氏より鉱区の譲渡を受け本格的な操業開始
 昭和13.5  青森市野内(のない)までの索道完成
 昭和13.7  第一選鉱上場完成
 昭和17.5  第二選鉱場完成
 昭和19.9  銅産出量1,400トン超。当時国内最大の銅山となった

 昭和48.6

 休山

 また従業員数は、操業開始当時50人、昭和20年1,458人、同36年862人。
 当地には上北鉱山小学校・および同中学校があった。上北鉱山小学校は、昭和14年に白石小学校上北鉱山分教場として開設。昭和46年10月15日廃校。上北鉱山中学校は昭和22年4月1日開校(小学校に併設)。昭和46年10月15日廃校(中学校は県教育史より)。

 現在は稼働中の中和施設があるほかに、建物の類はない。住宅や施設の跡も荒蕪地となっており、痕跡もあまり残っていないよう。
 もと山祇神社があった場所には朽ちた標柱(平成6年6月設置)が立ち、昭和11年10月に勧請されたこと、昭和62年7月に坑水処理場内に移転したことが分かる(写真19)。

 


写真1 坑水処理場


写真2 県道沿いの登り口と建物跡


写真3 建物跡


写真4 遺構


写真5 階段


写真6 竈?


写真7 建物跡


写真8 建物跡


写真9 建物群跡


写真10 建物群跡


写真11 集落内の車道


写真12 何かの槽


写真13 建物群跡


写真14 水瓶


写真15


写真16 選鉱場遠景


写真17 川沿いの遺構


写真18 神社・石段


写真19 神社・社殿跡


写真20 遺構


写真21 遺構


写真23 金属臭のある湿地

 

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